他の仕事や野良仕事が忙しくて、真空管ラジオの修理がなかなか進みません。今日は同ラジオの修理を続行することにしました。今回は、シャーシ内の抵抗やコンデンサなどの受動部品をすべて取り外しました。昭和20年前後の部品ばかりなのでとても傷んでいます。そのため、すべての部品を新品と交換します。特にコンデンサと抵抗は総取り換えします。この真空管ラジオは何度か修理した跡があり、醜い部品が取り付けてあったり交換してあります。丁寧にニッパで取り外しました。
すべての抵抗やコンデンサを取り外したシャーシ内部
部品以外にも電線も取り外しました。電源コードは布巻き式なのですが、布がほつれて銅線が露出しています。また、スピーカーに繋がるコードも同様です。ダイナミックスピーカーではなくマグネチックスピーカーなので高圧の電圧が通る電線です。これまた取り外しました。電線も新品に取り替えます。
ニッパで部品取り外し 電界コンデンサ取り外し シャーシの上側
私が中学生の頃に読んでいた真空管に関わる教科書や雑誌を参考にして、新品部品に交換しようと思います。ちなみに、私が中学生の頃は真空管とトランジスタが入れ替わる時代でした。そのため、まだまだ真空管に関わる本が出回っていました。夏休みの工作に真空管ラジオを提出する生徒がたくさんいました。
取り外したすべての抵抗やコンデンサ
私が中学三年生の夏休み、初めて手に入れた2個のトランジスタで金属探知機を作りました。二つの発信回路を作り、そのビートの差を利用して金属を探知する装置でした。発信回路は真空管の中間周波トランスを利用して455KHZを発信するはずでした。しかし、うまく動作しませんでした。今考えれば当たり前ですが、高周波回路に低周波用のトランジスタを使ったからです。高周波用のトランジスタは中学生にはとても高価だったのです。オシロスコープが欲しかったのですが夢でした。当時持っていた測定器はテスターだけでした。
昭和40年頃の真空管関連教科書 今回参考にする真空管ラジオの回路
毎年のことですが、今年も桃の未熟果に袋をかけました。5月連休時に掛けるべきでしたが、すっかり忘れていました。朝それを思い出して急遽袋を掛けました。数個の未熟果は虫に食われて変形していました。そのような未熟果は捨てて、形の良い未熟果だけに袋を掛けました。また、一つの枝に複数実っている場合は、一つだけ実が残るように他の実を摘果しました。そして、残った一つの未熟果に袋を掛けました。7月上旬に美味しい桃を収穫できると思います。
二つの未熟果のうち一つを摘果し、残した未熟果一つに袋掛け
桃と同じ頃に袋掛けする果物にビワがあります。しかし、ビワは長年剪定をしていなかったため背が高くなり袋掛けできません。やっと手が届く実を摘果するだけにしました。6粒程度実っているのですが、それを2粒程度に摘果します。そうしないと、どの実も小さなままです。ところで、去年はたくさんの美味しい実がなりました。どこの家のビワもそうでした。そのためか、今年は実が少ないように思います。
二つの桃の未熟果 一つを残して袋掛け 甘柿の未熟果
我家で一番多く収穫する果物は柿です。その中でも多いのは甘柿です。たくさんの未熟果が実っていました。1/3位に摘果すると良いのですが時間がありません。自然に摘果して実が減るのにまかせようと思います。数年前に植え付けた晩生の渋柿が花を咲かせていました。数をざっと数えると50個位です。 このうち10個位収穫できればうれしいです。
6粒のビワの未熟果 2粒に摘果 晩生渋柿の開花
その他の果樹を見回りました。すると、イチジクの夏果が数個枝に実っていました。イチジクは私と婆様の大好物です。今年も美味しい夏果イチジクを収穫できると思います。続いて、グミの小さな実が枝からぶら下がっていました。黄色く色づいている実は来週には収穫できると思います。残念なことですが、毎年赤い実を収穫していたユスラウメが枯れていました。この春の新芽が出ないので心配していました。何らかの病気にかかったか、虫に入られたのではないかと思います。来年の冬に苗を購入して植えようと思います。その他、スモモや梅も大きくなり、果樹ではないのですがクルミや栗などが花を咲かせていました。
7月に収穫する夏果イチジク 色づいてきたグミ
我家の花壇では、アイリスが真っ青な花を咲かせています。5年前に別の場所から植え替えました。最近はすっかり定位置になり毎年梅雨前に群れて咲くようになりました。また、同じアイリス類でしょうか、ジャーマンアイリスも元気に咲くようになりました。このジャーマンアイリスはアイリスを植え替えた頃に球根を購入して植えました。アイリスの隣に植えたため、毎年競うように見事な花を咲かせています。もう2~4種類の違う色の花を咲かせるジャーマンアイリスを購入したいと思っています。
5年前に別の場所から移したアイリス、今では群れて咲く
アイリスの近くにある花菖蒲は葉だけが茂っています。菖蒲湯iにするため葉を浴槽に入れていたことがあります。他にアヤメが咲いているはずなのですが今年は見当たりません。恥ずかしながら、私にはアイリス,アヤメ,菖蒲などの正確な区別が分かりません。花の形,模様,色,開花時期などに違いがあるのだと思います。
ジャーマンアイリス1 ジャーマンアイリス2 ジャーマンアイリス3
ところで、ジャーマンアイリスの畝が雑草に覆われていました。今日は、一日中雨なので体がなまって仕方がありません。短い時間ですが、雨の中を草取りをしました。ついでにカマを研いでおきました。ところで、5年前に植えたジャーマンアイリスの球根のうち二つが今だに花を咲かせません。草刈りをさぼっていたことなどが原因の一つです。花を咲かせるためには、草刈りや施肥などしっかり管理する必要があると思います。
雨の中、アイリス周りの草取り 〇は開花しないジャーマンアイリス
今年も草木染めをしようと、何種類かの有用植物を栽培しています。毎年多く栽培しているのは藍です。もう少し経てば畑に苗を植え付けしようと思います。一番育っているのは紅花です。秋に種まきした紅花は、私の背丈と同じ位に成長しています。まだつぼみができていませんが、夏には花が咲くと思います。この春にも種まきしたので、秋まきの紅花と同様に夏に花を咲かせると思います。次に、先日畑に植え付けたヘナの元気がよくありません。やはり熱帯性の植物のため夏にならないと成長しないのでしょう。根を草木染めに使う茜は葉を横に広げています。今年は増やすことに専念して、来年染色に使おうと思います。紫は育て方が分からないので、遅めに種まきしました。まだ発芽していません。その他、山藍は根付いたようですし、インド藍は無事に発芽しました。
私の背丈以上に成長した秋に種まきした紅花、棘が痛い
二年前と同じように、この秋に郷土館で草木染め教室を開催しようかと思っています。藍染めを中心に、紅花染めなど各色の染めを体験してもらおうと思います。小学生でも簡単に草木染めできる叩き染めと絞り染めが分かりやすくて良いかと思います。あと、個人的には柿渋の型紙を使った型染めをしてみたいと思っています。
そろそろ植え替えの藍苗 紫の種と蒔いた畝 横に生育中の茜
草木染めは、合成染料を使うより染め方がとても繊細です。酸・アルカリや媒染の量や割合、温度管理、布の種類、そして染める時期などです。例えば、藍の生葉染めは夏や初秋でしかできません。冬は乾燥したり発酵した藍葉を使うしかありません。また、60度位が適温です。叩き染めなどには絹が最も染まりやすいなどです。より濃く染めるためには、温度や媒染の量や混ぜる割合を気にする必要があります。個人的には染めのレシピを作る必要かあると思っています。
ようやく発芽したインド藍 なかなか根付かないヘナ
この連休中に洋綿(バルバゼンセ)の種まきをしようと思っていました。しかし、なんやかやと忙しく遅れてしまいました。数年前まではたくさん栽培していましたが、一人で糸を紡ぐにはそれほど多くの綿は必要ありません。それに、今は羊の毛を紡ぐ時間が多いため、綿糸を紡ぐ時間があまりありません。そのため、去年収穫した綿の中には種取りさえしていないものがあります。
綿は生き物なので種を継ぐために毎年畑で育てる必要があります。洋綿は私の背を越えるほど育つため、今年は株間を広く1.5mにして種まきをしました。
株間を広く1.5mとって、洋綿(バルバゼンセ)の種を蒔く
今回種まきした洋綿(バルバゼンセ)以外に、茶綿と緑綿があります。両者ともに色が付いている綿のため染色できません。そのため、少量しか栽培していません。また、綿は互いに近くで栽培すると、混ざって雑種ができるそうです。それを回避するため、かなり離れた畑に別途種まきをしようと思います。順調に育てばこの秋に綿を収穫できます。その後、種取りしてカーディングして糸紡ぎをしようと思います。いかに細い糸に紡げるかが、今の私の課題です。
畝に巻き尺を張る 1.5mごとに種まき 種まきした綿の種
弥山の頂上に着くと、大岩に囲まれた広場がありました。その広場の端に二階建ての展望台がありました。展望台からは広島,宮島口,そして江田島などの島々を見下ろすことができました。お昼時でしたので、広い椅子に腰を掛けて食事タイムとしました。平日でしたので、それほど人はいません。下界を見下ろしながらのんびりと休憩を取りました。
到着した弥山、巨岩と広場の頂上
展望台で40分位休憩したでしょうか。江田島を見下ろしていると、自衛隊のヘリ搭載護衛艦がゆうゆうと航跡を残しながら動いていました。近日中にF-35を搭載できるよう改修するとか。弥山を出ると、来た道とは別ルートで下りました。弥山すぐ下の干満岩に行きました。飲むと潮の味がするそうなのですが、汚くボウフラが湧いていたので止めました。大日堂からは稜線を通り大聖院コースに向いました。
弥山からの眺め 不思議な干満岩 大聖院コースを下山
大聖院コースは紅葉谷コースよりも人工の階段が多いです。がけ崩れなどが原因でコースが荒れたのでしょう。個人的には登りよりも足が疲れました。足元ばかり見ていたため、史跡に気が付かずに降りた箇所がありました。回りをよく見ながら下った方が史跡や自然を楽しめることができそうです。登りと同じ1時間半位で大聖院を着くことができました。疲れたため大聖院に寄る元気が出ませんでした。
岩を舐めるように下る白糸の滝 ようやく大聖院に到着
大聖院からはフェリー乗り場までのんびり歩きました。途中、甘いものが欲しくなったためアイスクリーム屋さんに寄りました。弥山に登る前にこのアイスクリーム屋さん前を通りましたが、修学旅行生がたくさんいました。
弥山登山の大聖院コースのスタート及び終点の大聖院
若い頃、横浜山岳会に所属していました。北アルプス,南アルプス,そして東北の山々に登ったものです。もちろん富士山にも何度か登りました。それらの山々や仲間達を思い出すと無性に懐かしくなります。年齢や体力を考えると、宮島の弥山(535m)のような低山が今の自分に合っていると思います。下見に参加された方々、お疲れ様でした。
宮島の弥山を中心とした史跡巡りウォーキング下見
五月になりサトウキビを植え付ける季節になりました。私の部屋から越冬中のサトウキビの茎を外に出しました。今年の越冬率は50%位でした。2月まではすべてのサトウキビが元気なのですが、どう言うわけか3月4月を越せないものが半分あります。面白いことに越冬した箱の底が緑色で越冬し、箱の上部がかなり枯れています。湿度か明るさが越冬に関係するのかも知れません。
越冬したサトウキビの茎を畑に植え付け
今までの越冬経験から、一番目に大切なのはやはり温度です。室内に置いて10度前後に保温すると良いようです。二番目に湿度です。越冬中に少しずつ茎から水分が抜けます。湿ったタオルなどを入れておくと良いようです。あるいは水分が抜けない塗料を茎に塗ると良いかも知れません。三番目に、時々に太陽に当てると良いようです。まだまだサトウキビの越冬方法が体得できていません。今のところ、越冬率50%なのではがギリギリOKでしょうか。
A:越冬失敗し枯死 B:越冬成功 越冬した茎を斜めに植え付け
以前はいろいろな麦を栽培していました。大麦,裸麦,二条大麦,紫大麦などです。しかし今は、小麦を主に栽培しています。その他、種継ぎとして裸性燕麦(オートミール)をわずかに作っています。どの麦も、今の時期は野鳥の食害対策が大変です。
今回、防鳥網を被せた小麦畑周辺の草刈りをしました。これから秋にかけて、野良仕事は草刈りが中心になります。今回の草刈りは数時間かかりましたが、軍手をしなかったため手の甲が日焼けで赤くなりました。夏に向けて、今後は日焼け,暑さ,水分補給,蚊などの対策が欠かせなくなります。
綺麗に草刈りをした小麦畑の西側
ところで、防鳥網に守られた小麦の穂が花を咲かせていました。小麦の花はとても地味です。遠くから見ても花が咲いていることが分かりません。穂の間から白い雄しべが垂れ下がっているだけです。稲と同じ風媒花なので花弁はないのです。なお、草刈りの間に、防鳥網の隙間を別の網で覆って補強しておきました。スズメやハトなどの野鳥の被害が無いと嬉しいです。
白い雄しべが風に揺れる小麦の花 防鳥網の空いた隙間を補強
小麦畑周辺の草刈りが終わると、隣の渋柿周辺の草刈りもしました。渋柿についてですが、近年の温暖化のためか干柿を作れなくなりました。従来の渋柿は熟期が早いので、加工して干している間に腐ってしまうのです。やむなく今は晩生の渋柿を収穫するため久留米に出かけています。今、熟期が遅い晩生の渋柿に転換しています。別の畑に植えた晩生の渋柿は、今年初収穫できそうです。小麦畑隣の渋柿はまだ苗を植えて年数が浅いです。そのため、収穫できるようになるのは2,3年後になりそうです。
草刈り前のケヤキ林 草刈り後のケヤキ林
いつの頃か、我家にお茶の樹があります。これまであまり関心がありませんでした。毎年のことですが、五月初めの今はたくさんの新芽が出ています。たまたまお茶が無くなったため、お茶の新芽を収穫してお茶にしてみました。以前八王子に住んでいた頃、お茶を作っていたことがあります。蒸したお茶の新芽を、温めた大きな鉄板上で手のひらで押すように揉んでいました。そしてお茶にしていました。それを思い出して素人ながらお茶を作ってみました。
収穫したお茶の新芽、最初にかるく蒸す
お茶の新芽を収穫後、通常ならば軽く蒸し器で蒸します。しかし、蒸し器がないため密閉容器に入れて電子レンジで蒸しました。熱でしなった新芽を、板の上で手のひらで転がすよう揉みました。新芽から水分がたくさん出てきます。冷えたところで、もう一度電子レンジに入れました。冷めないうちに、同じように手のひらで転がすように揉みました。ある程度水分が出ると、風が通る日向に置いて乾燥しました。乾くとパサパサになり黒ずんだ色になります。即席お茶葉の出来上がりです。
摘み取るお茶の新芽 最初の揉み作業 二回目の揉み作業
三回目の揉み作業 五回目の揉み作業 七回目の作業後乾燥
出来上がった即席お茶葉は缶に保存しました。お昼休憩中、その即席お茶を飲んでみました。色は市販品とほぼ同じです。味は市販品よりも少し落ちます。山裾で雑木のように育ったお茶なので、味が落ちるのは仕方ないでしょう。より手間暇かけて加工すれば、美味しい自家製お茶になると思います。
乾燥し黒くなった自家製お茶 色は市販品と同じ
史跡巡りウォーキングの年間計画では、毎年5月に離島の史跡を巡ります。去年は佐合島の予定でしたが、コロナ惨禍で行けませんでした。その前は、大津島,牛島,八島,平郡島,祝島などの離島の史跡を巡りました。今年は離島と言うよりも観光地である宮島の史跡を訪れることにしました。中でも弥山を中心とした史跡を巡ることにしました。今回の下見は紅葉谷からの登山ルートを歩いて弥山に登りました。そして大聖院コースを下りました。
岩だらけの紅葉谷登山ルートを登る
JR宮島口からフェリーに乗り宮島に着きました。そして、賑やかな土産物店街を避けて紅葉谷に向かいました。紅葉谷入口にバスが駐車していました。足の弱い方は、ここから紅葉谷ロープウェイ乗場までバスで行くことができます。バスに乗らないで紅葉谷ロープウェイ乗場傍まで歩き、ここから紅葉谷登山コースに入りました。岩場だらけの楽しい登山コースです。
紅葉谷のバス乗場 紅葉谷登山コース 弥山までの稜線到着
紅葉谷登山コースを1時間半位登ったでしょうか。途中二回ほど休憩しながら補水しました。次から次へと岩場が出てくるので、足の悪い方が歩くにはとても無理かと思いました。ロープウェイの獅子岩口駅から弥山へ向かう稜線に着くと10分位休憩しました。汗をぬぐい補水しました。そして、気を取り直して弥山に向かって一気に歩きました。
立派な弥山本堂に到着 弥山近くの岩をくぐる
弥山までの途中、修学旅行中の高校生達とすれ違いました。立ち止まってお話をする、東京の町田市から来たとのこと。その後、しばらく歩くと弥山本堂に到着しました。ここまで来れば、弥山展望台はすぐそこです。巨岩だらけの道です。筑波山の弁慶七戻り岩に似た巨岩の隙間を通りました。巨大な岩の間を左右に登ると弥山に到着しました。
宮島の弥山を中心とした史跡巡りウォーキング下見コース
藍染めに使う藍の苗作りをしています。春になって発芽し、以降ぐんぐん育っています。しかしながら、雑草の方がより元気に育っています。そのため除草をしました。いろいろな雑草が生えていました。雑草は種が小さくいろんな場所で発芽します。そして、いつの間にか大きく育っています。気が付いた時に除草しないと、苗が負けてしまいます。すべての雑草を除いた後、藍の根元に薄く肥料を施しておきました。
ビール箱に座り藍苗の間に生える雑草を取る
私は苗を畑で育てる場合は、だいたい種を筋蒔きします。すると、筋の間に生える雑草を取りやすいのです。そして、雑草を綺麗に取った後、軽く苗の間を耕して施肥しています。今年も藍を育て、7~9月にかけて生葉で藍染めしたり、藍の葉を収穫・乾燥して冬でも藍染めできるようにしています。紅花,インド藍,ヘナなどと比べて、とても育てやすいのが藍の特長です。ジャパンブルーと言われるように、藍は日本中のどこでも栽培できる草木染め植物です。
除草が終わった藍の苗 筋状に藍を育苗、筋間に施肥
二日目の「ほぼろ」製作講習会、予約された8人の方が早朝に来館されました。そして、予定通り9時に講習会を始めました。昨日と同じような時間割で進行しました。次の通りです。①午前中にほぼろの側面を完成 ②昼食休憩 ③ほぼろの底を丸く縫い込み ④ほぼろの中心に向けて蜘蛛の巣状に編み込み。 ほぼ予定通り進行し、昨日と同様全員が16:00頃までにほぼろを完成することができました。
ところで、七歳と五歳のお子さんを連れたご家族がおられました。前者お二人は講習対象外なのですが、せっかく来館されたのでほぼろ作りを体験していただくことにしました。
ほぼろの側面を熱心に編み込んでいる方々
ワラが一番多く必要なのは、ほぼろの側面を編み込む時です。事前に必要なワラを用意したのですが、足りなくなりそうでした。そのため、急遽ワラを追加することにしました。控室からワラを持ち出し、足踏み脱穀機を使って不要な袴部分を取り除きました。そして、水に浸けた後ブルーシートの間に挟み、その上を何度か車で往復しました。湿ったワラは車に踏まれて柔らかくなりました。
ほぼろ作り開始の家族 追加のワラを加工 水に浸して柔らかく
ところで、五歳のお子さんにはペットボトル用のほぼろを作っていただきました。ご家庭で縫物をしているそうで、見よう見まねでなんとかほぼろを編んでいました。次に、七歳のお姉さんはミニサイズの肩掛け式ミニほぼろを作りました。
小さなお子さんはすぐにあいでしまいがちです。そして、いたずらなどしながら遊びまわることが少なくありません。しかし、五歳と七歳のお子さんは、感心なことに集中してほぼろを作っていました。小さいながら、たいしたものです。
ペットボトル用ほぼろ 肩掛け式ミニほぼろ 製作したほぼろとご家族
昼食休憩後はほぼろの側面を合わせて、底を編み込みました。ほぼろで難しいのは底部の編み込みです。しかし、子供を含めて全員が熱心に取り組んでいました。一番最初に完成したのは、五歳が作っていたペットボトル用のほぼろです。毛糸を使った唯一カラーのほぼろです。皆さんから拍手が出ました。
その後、16時頃までに全員が完成することができました。一日目も二日目も、全員が完成することができて良かったです。ご要望があればこの秋か来年も、ほぼろ製作講習会を開催しようと思います。参加された方々、お疲れ様でした。
好天に恵まれ講習会日和 底編み中、全員が完成間近
わら細工民具「ほぼろ」製作講習会の1日目でした。実は、1年前の5月連休中にこの講習会を計画していました。しかし、コロナ惨禍のため中止となってしまいました。そのため、1年ぶりに実現となった講習会でした。前日雨でしたので心配しましたが、早朝になって晴れ、ホッとしました。水たまりが残る田布施町郷土館の広場に、タープを連結して張ったり,皆さんが座るブルーシートを敷いたり,ほぼろを作る馬や駒を置いたり,サンプルのほぼろを置いたり,説明図を描いたホワイトボードを並べたりしました。準備を手伝っていただいた方々、ありがとうざいました。おかげさまで、予定通り9:00に講習会を始めることができました。
タープ2張りの日陰の下、ほぼろ製作講習会をスタート
初めてほぼろを制作する方ばかりでしたので、次の四つに分けて体験していただきました。「①ほぼろの側面を午前中に編み終える。②昼食休憩 ③ほぼろの底面を丸く編み込む ④丸く編んだ場所から中心に向かって蜘蛛の巣状に編む。」です。
11月のほぼろ製作講習会では、ワラを加工したり駒に麻紐を巻いたりする作業から始めました。そのため時間がかかり、1日でほぼろを作ることができませんでした。その反省を元に、事前に駒に麻紐を巻いておいたり、すぐ編めるようにワラを事前に加工しておきました。その結果、今回はすべての方々が時間内にほぼろを完成することができました。
ほぼろの底を編む ほぼろの側面を編む 傷んだほぼろの修復
ほぼろを知っている方がほとんどいないため、最初講習会を予約する方は数人と思っていました。ところが、蓋を開けると意外にも多くの方が申し込みされました。そのため、予備日を講習会2日目としました。先着順に1日目は9名の方、2日目は8名の方に講習を受けていただくことにしました。申込み人数が多くて受付をお断りした方々、申し訳ありませんでした。
側面を繋いだ後、ほぼろの底を編み込み開始
なお、11月の講習会で底の編み込みができなかった方々にも別途参加していただきました。朝9:00にスタートして、昼食休憩45分を挟んで16:00に、全員が完成しました。みなさん初めてのほぼろ製作でしたが、立派で実用的なほぼろが完成できたと思います。小学生も中学生も、共によく頑張って作りました。座布団持参とは言え、長時間の座り作業お疲れ様でした。
ほぼろ底を蜘蛛の巣状に編み込み もう少しでほぼろ完成です
斎藤牧場から新道を歩きましたが、途中から旧道を歩きました。最近まで使われていた街道です。伊保庄の海岸側には、絶壁の崖のため江戸時代以前は道は無かったようです。その場所は、今でもそうですが崖が迫っています。そのため、今回歩いた山側の道が使われたのです。
さて、峠に着くとお地蔵様4が安置されていました。新道が通ることになったため移動したようです。お地蔵様4から平生町側の山裾を見ると馬小屋が見えました。道を分かれて、その馬小屋に向かいました。
馬小屋から我々を見下ろす黒馬、牧舎には白馬
圃場整備された山裾の一角にその馬小屋がありました。黒馬と白馬の二頭の馬がいました。スマートな体形からすると、引退した競走馬のサラブレッドではないかと思います。話によると女の人が飼っているそうです。場所代,餌代,そして管理費など、犬猫を買うのとはけた違いの維持費がかかるのではないとか思います。旧道をそのまま歩いて黒島方面に向かいました。ずっと緩い下りの道が続きます。
峠のお地蔵様4 白砂の常念寺跡 着替え前のお地蔵様5
旧道をしばらく歩いていると、右手に常念寺跡がありました。白砂が敷き詰められた小広場に、ご住職の墓石などが並んでいました。鎌倉時代から室町時代にかけて、京都でおきた病などが由来のようです。江戸時代には念仏が盛んだったようです。地域の方々が集まり、大数珠を回しながら念仏を唱えていた様子が目に浮かびます。
新しい服を着せてもらっているお地蔵様5
常念寺跡を過ぎて少し歩くと十字路がありました。その場所に隠れるように小さな座像のお地蔵様5が安置されていました。そのお地蔵様4の服は色落ちして苔が生えるほどに朽ちていました。それを見かねて、今回一緒にウォーキングしたSさんが新しい服を着せていました。新しい服を着たお地蔵様5、心なしか微笑んでいるように見えました。
黒島に向かってのんびり 黒島海岸近くのお地蔵様6
その後、数年前に閉校した柳井南中学校跡地を過ぎて海岸に出ました。そして、屋根付きのお地蔵様6の前を通ってスタート地点に戻りました。今回の史跡巡りは藪漕ぎをするなど少しハードでしたが、牛,馬,そして山羊などの動物に出会えた楽しいウォーキングだったと思います。参加された方々、お疲れさまでした。
柳井市 伊保庄 黒島~山近周辺の史跡巡りウォーキングのコース
この連休中、ほぼろ製作の講習会を開催します。私が制作方法を説明するのですが、製作途中の実物サンプルを見ていただいたことも大切だと思いました。そのため、ワラを組み始めた段階、ワラを組み終わった段階、そして、底の編み込みを始めた段階のサンプルを制作しておきました。麻紐を染めておくと編み方がより分かりやすいと考えました。そこで、麻紐を濃く藍染めしたサンプルを作ってみました。藍染めした麻紐を使うのはデザイン的にもいいかも。
藍染めした麻紐を使って、ほぼろのサンプルを製作
ところで、サンプルを制作する前に人数分のワラを加工して用意しました。最初に50束位のワラ束を脱穀機でこぎました。そして、ワラの袴部分を綺麗に取り去りました。そして、そのわら束を2時間程度水に浸しました。その後、本来ならば木槌でワラを叩いて柔らかくします。しかし、8人分のワラを叩くのは大変です。そこで、木槌で叩く代わりに車で何度もそのワラの上を往復しました。これでたくさんのワラが柔らかくなりました。
脱穀機でワラの袴を取る 袴を取った50束位のワラ 車でワラを何度も踏む
ワラを柔らかくし終わると、麻紐を藍染めしました。畑で収穫した藍の葉を使って染めました。麻を藍染めしたのは初めてです。染まるか心配でしたが濃く染まりました。染まった麻紐を水で洗った後、風が吹く木陰に干して自然乾燥しました。乾いたことを確認すると、その紐を使ったサンプルを制作しておきました。これで、ほぼろ制作の準備が整いました。当日早朝、タープを張ったり、ブルーシートを敷いたり、サンプルを並べるなどしようと思います。
藍染めに使った藍の乾燥葉 藍色に染まった麻紐