6月になってますます雑草は元気に伸びています。このまま放置しておくと、我家は雑草に埋もれてしまいます。久しぶりに草刈機を使って我家の周りを草刈りしました。草刈りの私の流儀ですが、まず最初に通り道となる場所を筋状に草刈りします。そして、その刈り取った道を広げるようして草を刈ります。山際になると笹が生えてきていますので、いったん止めます。その後、回転する刃を紐から鉄刃に変えます。そして、笹などの硬い草を刈ります。まだまだ涼しいので暑苦しくはないのですが、今後は熱中症に注意しながら草刈りする必要があると思います。
サトウカエデが生える我家南側を草刈り
草刈りで一番大変なのは山の下草です。主に笹や雑木が生えているのですが、斜面ばかりなのでいつも疲労困憊しながら刈っています。最低1年に2回は刈るようにしていますが、なかなか守れません。寒い冬が一番刈りやすいのですが、経験的に若い笹が生えそろった7月が良いようです。しかし、この時期の草刈りは最も過酷です。自分の年齢や体力を考えて、シルバーなどに頼みたいところです。仕事で稼いだお給料をシルバーにつぎ込もうかどうか迷っています。草刈り中に倒れるリスクを無くすには割り切るしかないと考えるようになりました。
草刈り前の我家西側 草刈り後の我家西側
我家は、私が東京に出た50年位前に建築されました。当時は珍しいコンクリート製なのですが、これがなかなかの曲者です。木造建築と比べて傷みが遅いため、固定資産税がなかなか下がりません。また将来増築や改築することになれば大金が費用です。なんでこんな不便な家にしたかと、親に聞いてみたことがあります。すると、とにかく長持ちする家が欲しかったそうです。以前の家は木造で、台風が来るたびに、床下浸水したり窓ガラスが飛んだりしていました。また、風圧で壁がゆがんだりしていました。その被害のリスクを少なくし、長持ちするのがコンクリート製だと考えたそうです。
天井に取り付けたLED天井灯
いやはやの我家ですが、50年前に取り付けた天井灯の一つがついに切れて点かなくなってしまいました。電球で、しかもその電球を交換できない天井灯でした。仕方がないので、今流行りのLED天井灯にしました。LEDは電球より長持ちするとのこと。電球が50年もったので、LEDならば100年はもつと思われます。このLED天井灯が故障する頃、私はいません。曾孫の代にようやく故障して点かなくなるのでしょうか。
古い天井灯を外す 購入したLED天井灯 明るいLED天井灯
日本の野草の一つである紫の栽培に苦心しています。まずは、発芽までの種の扱いがまだ分かりません。ある程度分かってきたのは乾燥に弱いことです。種や培土はなるべく湿らせた方が良いようです。今回は、なんとか発芽して育った三つの苗を路地に植え替えました。紫は雑草として見かけたことがありません。寒地,湿地,日陰など、他の雑草が育ちにくい場所で育つのかも知れません。
紫の苗を、路地に丁寧に植え替え
紫を草木染めに使う場合、その根を使います。色素をアルコールで抽出して染めに使うのです。染めに必要な量の根がまでありません。今年は根を増やすか採種するかしようと思います。そして、来年には草木染めに使える量の紫の根を収穫できればと思っています。自然に生える植物を使っての染めはなかなかに大変です。ところで、草木染めに使っている紅花のつぼみが大きくなっています。そろそろ開花時期を迎えるのではないかと思います。
路地に植え替えた紫の苗 植え替え直後、植木鉢で日陰処理
今年も、小学校の放課後学習「成器塾」が始まりました。私は「手芸と料理」教室を担当しています。今年は4,5年生の8人が教室にやってきます。6月~2月に教室を開きます。平均2回/月で開催します。なお、料理は具材が傷みにくい冬の1,2月を予定しています。
さて、初回は裁縫の基本である運針を練習してもらおうと思っています。そのため、市販の刺し子のキットを利用して、玉止め、玉結び、運針などを練習してもらいます。その刺し子のサンプルを作りました。
刺し子キットを利用して作ったサンプル
ただ刺し子で運針するだけではつまらないと思います。子供達が刺し子した布を、最終的にコースターに加工します。コースターにすれば家庭でも使えます。コースターに加工するときは手回しミシンを使おうと思います。1こま1時間30分なので、3こまを予定しています。四年生はまだ裁縫道具をもらっていないと聞きます。四年生用に針や糸などを用意します。運針に慣れれば、続いて袋、ティッシュペーパーケースなどの小物を作ってもらおうと思っています。12月は毎年の事ですが、干柿作り、クリスマスフェルト細工をしてもらう予定でいます。他の協力者のメンバーさん達と楽しみながら教えようと思います。
刺し子キットを人数分 各種色の糸も用意 サンプル作り
赤子山頂上から東に向かう尾根をゆっくりと下りました。下草が生えていない山道なので、のんびりと森林浴しながら歩きました。宇佐木の家々が見え始めた頃、怪しげな階段が上に続いていました。何か上にあると直感してその階段を登りました。すると、あとで宇佐木の方に聞いて分かったのですが、金毘羅社がありました。金毘羅社は海辺に多いのに、この金毘羅社は山の中にあります。これまた宇佐木の方に聞くと、古代ににおいて宇佐木は海辺だったとのこと。干拓前の宇佐木は海だったのです。今は宇佐木から遠くに海辺がありますが、江戸時代初期まで海岸は宇佐木近くまであったようです。
宇佐木の山の中に鎮座する金毘羅社の鳥居
金毘羅社を出ると、小川を跨ぐように建築された変わった家を見学しました。この家の持ち主にお話を聞くと、今の建築法では建て替えはできないそうです。つまり、住み続けるためには修繕しかできないとの事でした。続いて万徳寺に寄りました。そして、本番史跡巡りウォーキング時にトイレをお借りすることをお願いしました。快諾いただき感謝です。その後、早乙女塚に寄りました。田布施にもある早乙女塚、この平生の早乙女塚も、早乙女が武士に切られた伝承がある塚です。今、その塚の近くに説明板が碑として立ててあります。田布施の早乙女塚も碑を建てたいものです。
小川をまたぐ家 寄った満徳寺 田んぼの早乙女塚
早乙女塚の碑を眺めていると、平生町史研究会の方に偶然出会いました。このコロナでなかなか郷土館に行けなくて残念とのことでした。コロナ惨禍が早く終わって、自由に郷土館に来ていただけるようになればと思います。天池に沿う大内川を下流に向かってどんどん歩きました。途中のお地蔵様や稲荷社などを見学して、出発地に戻りました。下見ウォーキングに参加された方、お疲れ様でした。
平生町 赤子山史跡巡りウォーキング下見ルート
我家にある一番変わった樹はブラシの樹です。まるでブラシのように見える赤い色の花です。何年か前に伊保庄を史跡巡りした時にある家の庭に生えていました。とても印象的で綺麗でしたので苗木を購入しました。三本セットで、白、桃、そして赤い色のブラシの樹の苗でした。私は赤色だけを選んで、その他の二本は友達に差し上げました。このブラシの樹の花は蜜が出るようです。毎朝、メジロなどの小型の野鳥がやってきます。赤い花をつついては蜜を吸っているのでしょう。ただ、日本の気候に合わないのか実ができないようです。
朝露がおりたブラシの樹の花
ブラシの樹は花が一斉に咲くので、遠くから見ると樹全体が赤く染まったように見えます。花が咲き終わると、ブラシの部分が次々に落下します。そのため、樹の根元はブラシの残骸が積もります。なお、ブラシの樹は花が咲くとその重みで、柳のように枝が垂れ下がります。特に、梅雨や雨で葉や花が重くなるとそれが顕著です。
すべての枝で開花 ブラシにそっくり
小麦の刈り取りをしました。去年はスズメやハトの被害にあって小麦は全滅してしまいました。そのため、小麦の刈り取りは2年ぶりのことでした。いつもの皆さんにお手伝いしていただき、無事に小麦を刈り取ることができました。ありがとうございました。今後は、天日乾燥して乾いた小麦を脱穀し小麦粒を収穫しようと思っています。収穫した小麦はこの冬に製粉します。そして、うどん,パン,パスタなどに加工・調理して食べようと思っています。
ところで、前日麦を刈る機械を動かしてみるとエンジンがかかりませんでした。キャブレターのフロート故障でガソリンが漏れることが原因でした。すぐに、キャブレターを分解しフロート部を外してニードルを洗浄しました。すると、ガソリンが漏れなくなりエンジンか快調に動き出しました。事前に試運転して良かったです。
快晴の中、カラカラに乾いた小麦を刈り取るS君
小麦を刈り取ると、長い横棒に次々と小麦の束を掛けました。そして、雨が降っても濡れないようにブルーシートを掛けました。これで梅雨が来ても安心です。刈り取り作業が終わると、皆さんとテーブルを囲んで休憩しました。そして、お菓子や飲み物をいただきながら談笑しました。手伝っていただける仲間がいると本当に助かります。いつもながら、ありがとうございました。
2段の横棒にに小麦束を掛ける 雨避けのブルーシートを掛ける
東京に帰省する前に、息子夫婦にタマネギやソラマメなどを送りました。タマネギは今、高価だそうです。そのため、去年よりも多く入れておきました。ソラマメは鞘付きのまま送りました。鞘から豆を外した後、どんな料理にして食べるのでしょう。オーソドックスにソラマメご飯でしょうか。毎日のよう食べるわけではありませんが、ソラマメ入りご飯は季節を感じさせます。
鞘付きのままソラマメを段ボールの中に入れる
タマネギは2段にしました。底に赤タマネギを入れ、次の2段目に普通のタマネギをいれました。そして、その上3段目にソラマメを入れました。さらにその上4段目に、桜の葉付き枝を二つを入れておきました。私が物を送る時の流儀なのですが、一番上段に今の季節の枝や葉を入れます。
1段目は赤タマネギ 2段目は普通タマネギ 4段目は桜の葉付き枝
先日サツマイモの苗を植え付けました。苗が根付いたようで、新しい葉が次々に出ています。今年は絶対にイノシシの被害にあわないように電柵を取り付けました。元々はマクワウリやスイカのために購入した電柵です。当時サツマイモのために使うようになるとは思ってもいませんでした。
電圧は2万ボルトくらいあるそうです。そのため、電線に触る寸前にパチッと音が出て、すごい痛みがします。電気と言うとしびれるように思いますが、強烈な痛みなのです。人でも痛いので、イノシシならなおさら痛いと思います。今年は美味しいサツマイモを収穫できるでしょうか。
サツマイモ畑を囲むように電柵の杭を打ち込み電線を張る
サツマイモの苗を植え付けてから2週間位経っています。その間にサツマイモの周りには雑草が生えてきました。電柵を張る場所を耕運機で耕運除草しました。電線に雑草の葉が当たると漏電します。すると、電柵全体の電圧が下がってイノシシを防除できなくなります。今後、サツマイモを収穫するまで、鎌などで常に電柵下の雑草を刈り取っておかなければなりません。
電柵の杭を組み立て 電柵の場所を耕運除草 電線を杭に張る
電柵を張る場所の耕運除草が終わると、電柵の杭を組み立てました。電線を通すための留め具を、1個の杭に3個取り付けます。16個の杭に留め具を取り付けます。すべての杭に留め具を取り付け終わると、サツマイモ畑を取り囲むように、その杭をハンマーで打ち込みます。杭を打ち込み終わると、杭に沿って電線を上段,中段,下段と3段に張ります。
電線を上段,中段,下段に張る 杭に沿って3段になるよう張る
電線を張り終わると、高圧装置を取り付けます。電源は単1乾電池8個の12Vです。12Vのバッテリーを使っても良いのでしょう。最近は12Vの蓄電池と太陽光パネルを使っている高圧装置もあるようです。乾電池を取り付け終わる、プラス側を電線に、マイナス側をアースに取りつけます。電源をONすると電柵に高圧電圧が流れます。触って確かめるのは危険です。検電器を使って確かめました。すると、ちゃんと高圧が流れていました。これで、サツマイモの被害を無くすことができそうです。
高圧電圧を接続 検電器で高圧確認 これでイノシシ対策OK
これまで単糸ばかり紡いできました。2個のボビンが単糸でいっぱいになったので、今度は織り又は編むための毛糸(双糸)を紡ぐことにしました。以前、間違って単糸も双糸もS字撚りにしてしまいました。今回は、S字撚りで紡いだ単糸をZ撚りで双糸を紡ぎました。双糸を紡ぐ経験がまだ少ないため、二つの単糸の繰り込み量を均等にして紡げませんでした。
我家近くの公民館広場で、のんびり双糸紡ぎ
出来上がった双糸はまだまだの質です。この双糸を薄い藍染めと濃い藍染めに染め分けます。これを使って毛糸布を縞状に編もうと思います。そして、先日編んだ毛糸布と合わせて座布団の裏表にしようと思っています。郷土館の仕事、工作指導、放課後学習、野良仕事などで忙しく、紡ぎ,織り,編みに入れません。それでもなんとか、秋までに何らかの作品ができればと思っています。
単糸を巻いたボビン2個 双糸をZ撚り紡ぎ 双糸を巻くボビン
昼食休憩を終えると、赤子山の頂上に向かいました。尾根を東に歩けば、じきに頂上に到着します。頂上より数m手前に、丸くて白い巨岩が転がっています。所々に穴が開いている不思議な石です。さらに不思議なのは、頂上の三角点周辺に大穴があることです。巨木が倒れてできた根の跡でしょうか。分からないまま、頂上からの景色を堪能しました。南を見下ろすと宇佐木が見え、東を遠望すると柳井湾や周防大島が見えました。本番の史跡巡りウォーキングでは、この頂上で昼食休憩を取ろうと思います。
赤子山頂上から東側、柳井湾を遠望
8年前の赤子山頂上は森のようでした。夏でも暗く長居できませんでした。ところが、今の頂上はつい最近刈り払ったようです。もともと竹林だったようで、あちこちにタケノコが出ていました。タケノコを切らなければ、すぐに元のような森になるのではないかと思います。
丸く白い巨岩 ポツンと三角点 広々とした頂上尾根
10年位前に余田側から頂上に登ったことがあります。余田の中村林道から南に向かって山の急斜面を登りました。途中まで道があったのですが、だんだん細くなり道が無くなりました。とにかく登れば頂上か尾根に着くと思いました。丸い巨岩の数々を乗り越えて、ようやく尾根道にたどり着きました。その時は、中村林道までの下りルートが分からなかったため、いったん宇佐木に降りて、土穂石川の上流に向かい、中村林道に戻りました。
頂上付近の樹の幹を調査 赤子山頂上を振り返って
頂上から尾根道をどんどん歩いて宇佐木方面に降りました。10年前は確か、宇佐木に降り立つ手前で田んぼを横切りました。今回は田んぼを一切横切りませんでした。10年前とは別ルートで宇佐木に降りたようです。
平生町 赤子山史跡巡りウォーキング下見ルート
ソラマメを収穫しました。私が子供の頃のソラマメは一種の保存食でした。そのため、鞘が黒くなって乾いた頃に収穫していました。硬く乾いた茶色のソラマメを収穫したのです。そのソラマメを炒っておやつにして食べていました。とても硬くて食べにくかったことを覚えています。しかし、噛むほどに味が口内に広がりました。
硬い豆を噛めば、歯やあごが鍛えられます。そのせいか、私は虫歯がありません。たまに歯が欠けて治療することはありますが入歯とも無縁です。硬く炒ったソラマメを噛んで育ったからでしょうか。そう言えば、炒った硬い大豆も噛んでいました。今の子供は、炒り豆を食べることがあるのでしょうか。
茎にたくさんぶら下がったソラマメの鞘
ソラマメの鞘が、次々に太くなり色がくすんできています。そして、下に垂れ下がるようにもなりました。ソラマメの収穫時期です。ソラマメの鞘を数個収穫してみました。すると、中から美味しそうな豆が顔を出しました。薄塩で茹でたソラマメを食べると、素朴な季節の味がしました。
今年は支柱を立てて軽く紐を回しただけでした。しかし、大きな風が吹かなかったので倒れるソラマメはありませんでした。我家だけでは食べきれないため、息子夫婦にでも送ろうと思います。共働きで子育て中の忙し息子夫婦は、このソラマメを調理する時間があるでしょうか。
収穫した鞘 美味しそうな豆 軽く塩ゆでして食べる
熱帯で育つサトウキビ、育つ北限は鹿児島県近くではないかと思います。10年以上前にサトウキビを育てていた頃、路地のサトウキビは冬に全て枯れていました。そのため、茎を暖かい室内で保管するしかありませんでした。ところが、6年位前から路地でもちょっとした対策をすれば越冬するサトウキビが現れ始めました。冬が暖かくなったことが越冬の最大の原因だと思います。ちなみに、そのちょっとした対策とは冬になる前に茎の上に厚く土を山盛りに積むことです。
元気に越冬したサトウキビ、積んだ土の上に葉を出す
今年、その越冬対策をしてなくて越冬したサトウキビが現れました。土を盛らなくても越冬するサトウキビの登場です。冬の地下温度が、越冬できる温度より下がらなくなったのでしょう。大きく考えれば、サトウキビ栽培の北限が山口県南部の田布施町になったのでしょうか。これからも、サトウキビの路地での越冬を調査しようと思います。
越冬できなかったサトウキビ 越冬対策せずに越冬したサトウキビ
8年ぶりに平生町の赤子山に下見として登ってみました。崖崩れによりルートが大幅に変わっていました。そして、頂上付近の展望が大変貌をとげていました。5月に史跡巡りウォーキングした宮島よりも楽なウォーキングでした。宮島が500m位の高度でしたが、赤子山は200m位でしたので楽なはずです。昼食休憩しようとした頂上付近に、早々と11時過ぎに着いてしまいました。昼食休憩以降は、のんびりとした森林浴ウォーキングとなりました。
休憩した頂上付近から見下ろした平生町や平生湾
集合した平生町MaxValueを出ると、沼八幡宮に向かって舗装道路を歩きました。沼八幡宮は、私が平生保育園に通っていた頃の春の遠足先でした。当時の習成小学校傍から小道を歩いて、沼八幡宮に向かいました。田んぼの一本道でした。沼八幡宮へ着くと長い石階段を登りました。幼児の頃は元気だったのでしょう、長い石階段が苦になった記憶がありません。
集合した平生町MaxValue 静かな沼八幡宮 崖崩れによりルート変更
沼八幡宮からは未舗装の登山道です。私が小学校4年生の時、麻郷から遠足で赤子山に来たことがあります。今から60年位前の事です。当時は登山道と言うよりは獣道のようでした。その獣道を登っていると雨が降り始めたため、途中から沼八幡宮に引き返しました。道の両側から濡れた葉が倒れかかって服が濡れました。どこで引き返したか覚えていません。ただ、引き返すかどうかを先生が考えている間、立ち止まった場所に生えていた樹の幹に肥後守で名前や日付を刻みました。その樹がまだ立っているか枯れているのか、その場所すら今ではもう分かりません。
木の幹越しに余田を見下ろして 椿のトンネルを歩き抜ける
崖崩れにより変更になったルートを辿って進むと、昼食休憩する予定の尾根に早々と付いてしまいました。その場所は目の前に平生町が広がっていました。後ろを見ると余田がよく見えました。ルート変更整備のついでに赤子山の尾根を整備したようです。道も以前よりは広くなり歩きやすくなっていました。そのため、小学低学年でも楽々に登ることができます。田布施の山も、このように町民がウォーキングを楽しめるルートを整備をしてもらえたらと思います。
平生町 赤子山史跡巡りウォーキング下見ルート
4月初め、今年度の少年少女発明クラブの開講式がありました。そして、先日3回目の小年少女発明クラブがありました。1~2回目は、子供達が考えたアイデアを図面化することが主でした。考えたアイデアを図面化することは、小学生にはなかなか至難のようです。3回目からはそのアイデアを形にする工作です。図面がしっかりしていないと何度も修正する必要があります。
私は、子供達にとって失敗することも大切な経験だと思っています。そのため、あれこれ指示しません。なるべく子供から相談された時だけ指導するようにしています。いわば見守り指導です。子供達にとっても、したり顔で先回りする指導ではやりにくいのではないかと思います。
工作室の各テーブルで工作に励む子供達
私の子供達に対する指導方針の一つに、「子供達にあれこれ指導したことを100%期待しない。」があります。教えたうちの20%位体得してくれればOKです。教えたことを100%子供達に期待すると、「こんなに教えたのに覚えてくれない!」と疲弊してしまいます。
風が流れるように指導します。子供達を通り過ぎる風が大部分ですが、運良く子供達に当たる風があれば良しです。
自分で板を切る 自分で穴あけ 指導者が付く時も