先日、自作したほぼろ版リュックサックを背負ってウォーキングしてみました。背負い具合は良好でしたが、ただ一つだけ不満がありました。それは、肩に背負った縄紐がこすれてわら屑が出ることです。わら屑が肩に付いたり背に付いたりして服が汚れるのです。
これを対策するため、背負い紐に布カバーを取り付ける改良を施すことにしました。ついでに、リュックに入れる袋を見直してリバーシブルでおしゃれ?な内袋を作りました。
背負うための肩紐に布カバーを取り付け
背負い紐用布カバーはただの細長い筒ですので、製作はそう難しくありません。柳井市にある洋裁材料店に行って布を購入しました。ついでに、リバーシブルにする内袋用の布も購入しました。家に帰ると、早速布カバーを制作しました。愛用の手回しミシンをトコトコ動かしました。
細長く布を切り出す 紐の入れ口を縫う 筒になるように縫う
筒状にした背負い紐カバー二つ縫い終わると裏返しました。そして、縄製の背負い紐に通しました。サイズがぴったり過ぎたので、なかなか縄が通りません。そのため、時間をかけてゆっくりと通しました。もう少しゆとりをもたせた方が通りやすかったと思います。
通し終わった後、手に持ったり背負ったりしてみました。まあまあの出来でした。わら屑が出ることはもうありません。続いてリバーシブルな内袋を製作することにしました。
完成した紐カバーを裏返す 背負い紐に布カバーをゆっくり通す
沖ノ浜には、海に向かって祠が安置されています。この海岸では一年に一度冬に神明祭が行われます。数年前にそのお祭りに行くチャンスがあったのですが逃してしまいました。上関の神明祭は、阿月のように東西の御神明体ではないようです。このお祭りは、400年ほど前に浦家が伝えたそうです。いつか上関の神明祭を見学したいと思っています。ちなみに、阿月の神明祭は国の重要無形民俗文化材に指定されています。
沖ノ浜から七地蔵尊に向かう道すがら
沖ノ浜の砂浜でシーグラスを採取すると、七地蔵尊へ向かう道を歩きました。途中、道の脇にお地蔵様を見つけました。ここで、近くの小山にあるお堂に気が付きました。そのため、いったん道を戻ってそのお堂に向かいました。
ところが、そのお堂は使われていないらしく道にバリケードが設置されていました。たまたまおられた地元の方にお願いして、お堂に向かう道のバリケードを開けていただきました。
沖ノ浜の白砂海岸 藪に閉ざされたお堂 七地蔵尊を拝む
バリケードからの狭い道は草木が生い茂り、とても歩くことができません。私一人が、体を押し付けるようにしてお堂に向かいました。すると、半ば倒壊寸前のお堂がありました。扉を開くとお地蔵様が安置されていました。何年も使われていないお堂のようでした。
遍照寺前のお地蔵様 遍照寺付近から室津を望む
半ば廃墟と化したお堂を出ると、七地蔵尊まで歩きました。続いて、竈戸神社に向かいました。竈戸神社に着いた頃、ちょうどお昼になりました。そのため昼食休憩を取りました。その後、遍照寺に向かいました。途中の道に地蔵様が何体か安置されていました。この道からの海の眺めは目にしみます。疲れが癒される眺めでした。
上関町長島の史跡巡りウォーキング下見コース
昨日、雨が降る前に桃の袋掛けをしました。四月の始めに桃が開花していましたが、気が付いたら桃の実は親指位の大きさに育っていました。よく観察すると、虫にかじられている実がありました。これはもう、袋掛けしなければなりません。桃に被せる袋を切らしていたため、すぐにお店に行って購入しました。お店から帰ると、良い実を残す摘果作業から始めました。
摘果が終わると、桃に次々と袋を掛ける
一つの枝に一つの実を残すようにと摘果します。一番良い実だけを一粒残します。大きすぎず小さすぎず、しかも虫の食い跡がない実を選びます。また、実に触れた時にグラグラせず、しっかり枝に付いている実を選びます。グラグラしている実は、いずれ落果するはずの劣った実です。摘果が終わると、残した実に次々と袋を被せました。
三つ並んだ桃の実 一つを選び、残りを摘果 選んだ実を袋掛け
亡き父親は、酪農を始める前に桃農家をしていました。桃の作業のうち、この袋掛けと実の収穫が一番忙しかったように思います。我家だけでは人数が足りず、親戚一同が集まる一大イベントでした。
そのイベント早朝は皆で袋作りから始めます。袋が出来上がると、桃を栽培している山に登って作業開始です。その時の賑やかさを思い出します。当時は親戚同士で助け合っていたものです。時は流れて、今は親戚同士で助け合うことは少なくなりました。
桃を包むようにして袋を閉じる 桃の実に次々と袋を掛ける
先日、小麦畑に防鳥網を掛けました。その小麦畑、地面をよく見ると小さな雑草が次々に生えています。これから初夏に向かって、雨が降ったり晴れたりの季節が続きます。気温も上昇します。そのため、さらに雑草が勢いを増します。今回、雑草の勢いが増す前に除草することにしました。
小麦畑周辺の雑草を耕運除草
最初、道路側,田んぼ傍,そして隣の畑などの境界を草刈機で刈り取りました。早く刈るために丸刃で刈りました。後で耕運しやすいように、刈った草を半日乾燥してから熊手で畑の脇に寄せておきました。午前中に主に草刈りして、午後から耕運除草しました。
麦畑に生える雑草を耕運除草 耕し終わった麦畑
午後からの耕運ですが、最初に低い雑草が生えている小麦畑を先に耕運除草しました。それが終わると、柿を植えある場所やどんぐりの樹が生えている林間を耕しました。この林間は夏には風通しの良い木陰になります。ほぼろ製作講習会の会場に使えるかも知れません。なんとか一日で終わったので良かったです。畑が綺麗になると心も晴れます。
柿を植えている場所を耕運除草 涼しい木陰の林間を耕運除草
早生タマネギが丸々と太ってきたため収穫しました。最初、茎が倒れているか又は倒れそうなタマネギを優先して引き抜きました。続いて、バケツに入れた水に浸して、手でなでるようにして洗いました。そして、寝かせて乾燥しました。
その後、茎を20cm位カットします。そして、網目にした櫛竿に置いて天日乾燥しました。美味しそうなタマネギばかりです。さっそく朝晩に食べようと思います。なお、赤タマネギなどの晩生タマネギは今月末収穫します。
洗い終わったタマネギの茎をカットして天日乾燥
ところで、タマネギを手で掴んで引き抜く時に茎が切れることがあります。みなさんはどう対策しているのでしょう。私は、自作工具であらかじめタマネギを浮かせてから引き抜きます。茎が倒れる前に茎を掴んで引き抜いてもかまいません。
半分程度倒れた茎 茎を掴んで次々に引き抜く バケツに入れた水で洗う
以前からタマネギ栽培を続けていますが、以前は乾燥が進まず腐るタマネギがありました。そのため、去年からタオルを乾かす櫛竿を加工して、タマネギ専用の干し台にしています。そして、天気が悪い日には、その櫛棚ごと室内に移動し扇風機で風を送っています。その結果、腐るタマネギは無くなりました。
水で洗った後、一時乾燥 茎を切ったタマネギを天日乾燥
毎年5月の史跡巡りウォーキングは島を訪れています。去年は宮島の史跡を巡りました。今年は上関町の長島の史跡を訪れます。長島は昭和40年代前半まで離島だったため、当時は渡船で本土と行き来していました。しかし今、上関大橋で本土と繋がっているため離島のイメージはありません。
※長島の対岸である室津は4年前に史跡巡りをしました。
上関大橋を歩いて長島に渡り、沖ノ浜の砂浜に出る
私が高校生の頃、我家と上関町の灯台を往復したことがあります。まだ、上関大橋がなく、田布施の麻郷と平生町の水場を結ぶ南周防大橋も無い頃です。我家がある田布施町麻郷からいったん平生町に向かい、水場、佐賀と歩いて上関町の灯台まで行きました。高校生の制服で歩き続けました。帰りも同じルートです。朝7時頃出発して午後6時頃に家に帰り着きました。約40kmの歩程でした。およそ、田布施から岩国まで歩いた距離になります。
上関大橋長島側の砲台跡 沖ノ浜方面に向かう 山の上に六人塚
集合したのは上関町の道の駅です。10:00に歩き始めました。室津の四階楼,常満寺,そして吉田松陰碑を通りました。そして、上関大橋を渡りました。渡りながら下を見ると足がすくみます。橋の下を通る船を、真上から覗き込むことができます。高所恐怖症の方には怖い歩きです。
沖ノ浜までの途中にあるお地蔵様 眩しいばかりの白砂の美浜
上関大橋を渡り終えると、砲台跡に寄りました。幕末時に砲台が設置され、吉田松陰が立ち寄ったそうです。砲台跡を見学すると、山に安置された六人塚に行きました。戦国時代の村上水軍に関わる史跡です。続いて、お地蔵様群を見ながらレストラン瀬里香前に着きました。そして、沖ノ浜の砂浜に降りました。眩しいほどの綺麗な白砂の海岸でした。
上関町長島の史跡巡りウォーキング下見コース
ジャガイモの種芋を植えるのは毎年3月上旬なのですが、今年は4月になってしまいました。今ウォーキングなどで町内を歩いていると、ジャガイモがだいぶ大きく育っており、我家のジャガイモの生育の遅れを痛感します。
今年は発芽がだいぶ遅れてしまい、芽欠きや土寄せもだいぶ遅れてしまいました。雑草も生えてきたため、最初ジャガイモの周りを耕運機で除草耕運しました。そして、芽欠きや土寄せ作業を始めました。
除草耕運後、芽欠きしてクワで土寄せ
除草耕運後の芽欠きですが、私は芽を三~四つ残すようにしています。五つ以上芽があると、収穫できるジャガイモの数は多くなりますが、各芋の大きさが小さくなります。このように、芽の数で芋の大きさと数を調整しています。
収穫する6月末は汗だくの季節です。しかし、収穫したばかりのジャガイモはとても美味しいです。毎年の事ですが、収穫した半分程度を息子夫婦に贈っています。
ジャガイモの芽欠き 芽欠き後に土寄せ 6月後半に収穫
麦畑全体の草刈りをしました。一年のうちでこの麦畑が一番草刈りが多いのです。我家の建物は道の奥にあります。そのため、それほど草刈りしなくても恥ずかしくはありません。しかし、麦畑は隣に町道や公民館があるため、車はよく通りますし、散歩したり出入りする人が絶えません。そんな手前、人の目があると思うと、草刈りをさぼるわけにはいかないのです。
防鳥網を被せた麦畑全体を草刈り
以前は草刈機に紐刃を多く使っていました。しかし、最近は金属の丸刃を使うことが多くなりました。理由は草刈り効率が良いからです。なお、紐刃は葉が細かく散らばるため集草する必要がありません。しかし、丸刃は後で集葉する必要があります。草を集めておかないと耕運機のロータリーに巻き付いてしまうのです。それだけが欠点です。
草刈りする前の麦畑の道脇 草刈り後の麦畑の道脇
麦畑の道脇にはカンナを植えています。そのカンナが枯れてしまった場所にマオラン数株を植えました。カンナも背が高いのですが、マオランも高くなります。町道と麦畑の境界をカンナとマオランで遮ってくれます。
カンナは赤い花が散歩する人を和ませます。マオランは花は咲きませんが葉が立派です。そして、籠や紐などの材料に使えそうです。
麦畑と町道の境に植えたマオラン数株
4月初めにタケノコを収穫しましたが、その後生えるタケノコを逐次伐採しています。生えるタケノコをそのままにしていると、我家は竹林に囲まれてしまいます。私が決めた境界を越えると退治すると決めています。2~3日に一度、竹林との境を見回っています。それでも見落として慌てることがあります。
タケノコを見つけると遠慮なくクワで伐採
我家は二種類の竹に迫られています。一つは孟宗竹で4月から5月にかけて生えます。今がその季節です。孟宗竹の勢いが弱る頃、こんどは真竹のタケノコが侵入してきます。この竹は始末に負えません。タケノコを伐採すると根元から笹のような細いタケノコが生えるのです。つい、笹と間違えて見逃してしまいます。すると、8月頃になって真竹と気が付いて慌てて伐採します。
畑の間近に生えたタケノコ 大きいタケノコは伐採困難
私の勉強部屋兼寝室のエアコンをやっと買い替えました。4年位前から、夏の冷え方が弱くなりました。最初は扇風機を併用するなどして乗り切りしました。さらに冷えが弱くなると、隣室の窓用エアコンを移動しました。それで、2年持ちこたえましたが、去年の猛暑はさすがにこたえました。
そこで今回、ようやくエアコンを買い替えることに決めました。業者の方に聞くと、15年はよくもった方とのこと。普通は10年位で買い替えする方が多いそうです。これで、この夏は乗り切れそうです。
新しく買い替えたエアコン、涼しい風が吹き出す
婆様がいる部屋のエアコンは、10年経たないうちに故障しました。そして、業者が忙しいとのことで工事を待たされました。そのため、工事が少ないだろう今買い替えをしました。今年の最新型エアコンはまだ出ていないそうです。去年の売れ残りを購入しました。そのため、思いがけなく安く買い替えることができました。
左は窓用エアコン,上は故障のエアコン 新しくなったエアコンの室外機
先日、麦畑を防鳥網で覆いました。ところが、網の長さが足らず2/3しか覆うことができませんでした。そこで、同じ防鳥網をもう一つ購入しました。そして、その網を今回被せました。
以前、水田で稲作をしていました。東京の八王子に住んでいた頃のことです。山間の数ヶ所の田んぼでしたので害鳥の被害に苦しみました。対策として防鳥網を水田全体に被覆していました。しかし、害鳥に入られ続けて被害を受けていました。せっかく苦労して網を張っていたのにがっかりしていました。鳥が入った原因は網目が大きかったからです。
麦全体に防鳥網を張り終える。これで安心
スズメが防鳥網を通過する様子を観察したことがあります。スズメは防鳥網の上に来ると羽を閉じるのです。すると、ストンと落ちるように網の目の間を落下するのです。そして、網を出る時は勢いをつけてから羽を閉じて通過します。そして、通過直後に羽を開いて飛び去ります。
それを知っている私は、網の目が3cmの防鳥網を使っています。3cmならばスズメも通過できません。網を張る作業が無ければ麦作は楽しいのですが、収穫するためにはやむを得ません。ちなみに、水田が多い地域では各地で稲が一斉に実ります。そのため、スズメの被害はわずかなものです。網をはる必要性はほとんどありません。
麦畑の片方にもう一つの網を掛ける 引っ張るようにして網を張る
野菜や麦などを栽培しているとたくさんの杭や支柱を使います。園芸店では鉄柱にプラスチックをコーティングした杭や支柱を売っています。しかし、長年使っていると、折れたり中の鉄が錆びたりして使えなくなってしまいます。それだけならば良いのですが処分に困ります。腐らないし、ゴミとして出しにくいし、再利用できないのです。
そのため、なるべく自分で小さい杭や支柱を作っています。数年前に作った竹杭や支柱が折れたり腐ってきたため、竹で新しく杭を作って補充しました。竹杭作りはノコギリ,斧,鉈があれば難しくありません。なお、斧は鉈で代用できます。
鉈で竹杭の先端を鋭く削る
竹杭を作るため竹林に行って竹を切り出しました。竹林から持ち運びやすいように枝が少ない根本部分を切りました。何本か切ると作業しやすい広場に運びました。そして、作りたい杭の長さに切りました。続いて、杭の幅に合わせて斧で押し当てるようにして節を割りました。
竹林で竹を切る 杭の長さに切る 節を斧で割る
節を割り終わったら、鉈で先端が鋭くなるように削ります。最後に、紐や糸が引っ掛けることができるよう窪みを付ければ完成です。たかだか1時間もあればできる作業です。自宅にある材料を加工しては野良仕事資材を作っています。言わば、子供時代から手遊びです。
紐を引っ掛ける窪み 完成した簡易杭
入念に準備をしてきたわら細工民具「ほぼろ」製作講習会、参加していただいた方々と和気あいあいに楽しく製作することができました。思い思いに工夫されている方もいて、今後の参考になりました。
今回から、「ほぼろ」に加えて「ほぼろ版猫ちぐら」の製作が始まりました。私は猫ちぐらの方を作りました。猫ちぐらは円座を作ることから始めます。今回は円座作りが中心です。次回か、次々回に完成すると思います。今後は、春夏秋冬と講習会を年4回にしようかと考えています。
わら細工民具「ほぼろ」製作講習会に参加された方々
早朝皆さんが来る前に、会場である田布施町観光協会「おいでえ」に材料のわらや小道具を持ち込みました。そして、最初にタープを張ることから始めました。少しすると、Kさんがやって来て会場作りをしました。しばらくすると、皆さんが次々にやってきました。
9:10に挨拶をしてから、私がほぼろについてお話をしました。そして、タープ2張りの日陰に入って製作に入りました。
早朝会場作りを開始 もくもくとほぼろ製作 相談しながら製作
請われれば私は作り方を教えますが、仔細を忘れてしまうこともあります。そのため、一年後を目標に健忘録の意味で冊子を作ろうと計画しています。これまでに開催した講習会や、今回の製作講習会の写真などを引用しようと思います。単にほぼろだけでなく、今回新たに追加したほぼろ版猫ちぐらやほぼろリュックサックも取り入れようかと思います。
参加した皆さんと談笑しながらの、楽しいわら細工民具「ほぼろ」製作講習会になって良かったと思います。
タープの日陰の下で楽しく製作 広い芝生に座って談笑
明日開催のわら細工民具「ほぼろ」の製作講習会では、いろいろな小道具を使います。馬,駒,曲がり針,ハサミ,押切りなどです。材料としては、わら,紐などです。そして、製作には関係がありませんが必要なものがあります。日差しを和らげるタープ,わら屑を集めるほうき,それを入れるゴミ箱などです。それら必要な小道具一式を車に入れました。今後、出張わら細工民具講習会ができるのではないかと思います。
小道具を車に入れる途中、曲がり針が足らないことに気が付きました。そのため、急遽金細工をして作りました。事前に点検して良かったです。
五寸釘を加工して必要数の曲がり針を作る
曲がり針は、ほぼろの底を編む時に使います。直線の針は使えないのです。昔は専用の曲がり針を使っていました。ただし、現代では手に入りません。そのため、自作するしかありません。私は五寸釘を加工して曲がり針にしています。
その手順は、釘の頭を手持ちグラインダーで切断し、その首部をバーナーで赤熱して叩いて平らにします。その部分に紐を通す穴を卓上ドリルで開けます。そして、卓上グラインダーで磨いた後に、ハンマーでたたいて曲げています。簡単な金細工です。
バーナーで釘を赤熱 卓上ドリルで穴あけ グラインダーで磨く
明日、会場である田布施町観光協会にすぐ行けるように、車内に小道具材料などを全て詰め込みました。そして、観光協会建物のカギを役場経済課に借りに行きました。9:00の製作開始までにタープを張ったり、シートを敷いたり、馬などを並べたりと大忙しです。しかし、始まってしまえば皆さんと歓談しながらの楽しい講習会になるのではないかと思います。
一番右は昔使われた専用曲がり針 小道具一式を詰め込んだ車内
この連休中の5/3、田布施町のわら細工民具である「ほぼろ」の製作講習会を開催します。「ほぼろ」とは農家で昔よく使われたわら籠のことです。なぜ「ほぼろ」と呼ぶのか分かりません。「ほぼろを売る」との諺が県内で広く言われているため、「ほぼろ」はだいぶ昔から普及していたようです。
わら細工民具「ほぼろ」製作講習会は2年前に第1回目を開催後、今回で第6回目となります。去年春の第3回製作講習会は参加希望者が多くて、二日に分けました。講習会を開催するためには、事前にわらを入手して細工しやすいように加工しておく必要があります。今回、参加者人数分(8名)のわらを加工しておきました。
わら細工しやすいように、あらかじめわらを加工
一人でわら細工するためには、木槌でわらを叩いてみご(わらの芯)を取ります。簡単です。しかし、たくさんの人のわらを加工するため、私は次のようにしています。わらを木槌でたたくところを、敷いたわらを車で往復しながら踏みます。専用のわら打ち機械が欲しいところです。そして、みごを取るため足踏み脱穀機を使っています。
敷いたわらを車で踏む 脱穀機でみご取り 加工が完了したわら