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小説を恐ろしく思えるということ

2007年11月19日 | 読書
 阿刀田高の『脳みその研究』(文春文庫)という短編小説集に、「雨のあと」という作品がある。

 主人公は愛読したある小説の舞台となっている南の島を訪れて、一人の日本人男性と出会う。
 今は現地民と見間違うような格好をしているその男は、かつて中学の国語教師をしていて、教え子との関係を世間に邪推され退職してこの島にきたのだった。

 主人公が愛読した小説の顛末と似通った状況があり、その男も小説を読み自分の身を重ねてみるのだがどうもその筋には疑問を持っている。
 主人公とその男との小説をめぐったやりとりは、短いが印象的である。

「小説は恐ろしいものですねえ」
 
 男がつぶやく一言がテーマなのだろう。
 名作や売れっ子作家が書く小説は、「モチーフを巻き散らしている」ことは確かである。
 まして教師などという職業は、昔からネタにされやすい対象である。
 小説好きとは言えない自分ではあるが、例えば重松清など学校ものを取り上げる作家の作品は読み込んでいるほうだろう。

 そんなふうに自分の身を重ねることがあったのだろうか…。
 確かに登場する教師の言い方や考え方にわが身を振り返ることはあったが、いわば「心の闇」みたいな部分では…記憶がないなあ。

 むろんドラマになるべき要素が少ないからそう言えるのかもしれないが、ああ自分は楽天的なんだと唐突に気づく。
 こんな自己完結的な終わり方がその象徴か。

 かつて小説を読んで息苦しくなった自分もいたなあ…鈍感になっただけかもしれない。
 そういえば、この短編小説集の標題作「脳みその研究」もそれに似たことを取り上げていた。