すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

問い質す言葉を吟味する

2007年11月17日 | 読書
 自分の精神の中を見つめていき、何が傷になっているかを知るのです。傷が見えた途端に、それが原因で起こっていた問題が解決します。

 私は子供が元気に走り回っているのを見るのが好きです。大人のいるところではしゃぎ回る子供を見て眉をひそめる向きもありますが、子供はそのくらいの方がうまく育つのです。

 この言葉だけを取り上げれば、書き手が「あの」戸塚宏氏であることに少し意外な感じを受ける人が多いのではないだろうか。

 『本能の力』(新潮新書)を読んだ。

 自分の中で、「本能」という言葉、そして「理性」という言葉についての認識に新たな視点が加わったように思う。刺激的な本だった。

 司法の手によって裁かれたことは、その指導方法の一部が社会的には容認されないということになる。
 しかし、戸塚氏はその信念を変えていない。

 私の理論は獄中でいっそう深化した

 「戸塚ヨットスクール事件」が騒がれていた頃、青年教師だった自分は、正直その問題に真摯に向き合ってはいなかった。関心は別のところにあったのだろう、単に新聞などで報道されていたことを鵜呑みにしていたように思う。そしてそれは、大切なことを見逃したのではないかとも今考えられる。

 たしか昨年、刑期を終えた戸塚氏とヤンキー先生こと義家氏の対決?をテレビで見たときがある。
 話す内容はともかく、義家氏の落ち着きのなさに比して戸塚氏の胆の据わった態度が印象に残った。放送局の意図はそこにはないと思うが、個人的には妙に印象深い。

 戸塚氏の一部の言葉や文章を引用してその姿を語るには、なかなか危険な本であるとも思う。
 ただ氏へ批判的な目を向けるとき、問い質すための言葉は自分の中で十分吟味されていなければいけないことは確かである。
 「追及」された質問は、このような言葉である。

 「いまも体罰は教育だと思いますか」
 「生命の大切さをどうお考えですか」