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言葉なんかおぼえるんじゃなかった、という本

2007年11月26日 | 読書
 三十数年ぶりに買った詩人田村隆一の本。

 『ぼくの人生案内』(光文社)

 旅先で読み始めたら、「なんでこんな本買ったんだっけ」と思ってしまった。
 月刊誌?か何かでいわゆる20代向けの人生相談の連載があって、それをまとめたものである。
 相談は、就職や恋愛、人生観から家族、性の問題まで、実にありがちな内容であり、それに対して田村が肩肘張らずに答えているというパターンだ。
 似通っているものも多い。
 世代の違う私が読んだら、正直途中で飽きてくる中身ではある。

 …そうそう本屋で立ち読みしモノクロの著者写真の素晴らしさでおっと思い、ぺらぺらめくったページに見つけた一つの詩が、妙に心に残ったからレジに運んだのだ。
 きっと昔、詩集で読んだことがある。
 かすかな記憶の断片が沈んでいる気がした。
 「帰途」という詩である。

 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 言葉のない世界
 言葉が意味にならない世界に生きていたら
 どんなによかったか

 そんな一連から始まる詩を、今から五十年以上も前に書いた詩人は、若者相手に「将来のために、今ちょっとイヤな思いをすればいいんだよ」などと分別のある言葉を書いている。
 別に幻滅したわけではないが、妙に物分りのいい老人になっていることがどうにもぴんとこない。

 この単行本が小学館から発刊されたのは、98年。
 田村隆一は、その年の夏に亡くなっている。

 言葉というのは、決して私的ではない
 言葉というのは本来、公的なものなんだよ

と書いたように、田村は若者たちに実にわかりやすい言葉で、処世術を記したのだろうか。
 それが公的なものである姿の一つには違いないが。
 それで、田村の生は全うできたのか。
 翻訳者であり、詩人であった意味は、やはり言葉を公的に駆使しようという表れであったのか。
 こんな本を手にしたから、そんなどうしようもない疑念がわいてくる。

 ああ、言葉なんかおぼえるんじゃなかった