すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

明快さを強く打ち出す

2007年11月05日 | 読書
 道徳教育改革集団の機関紙である『道徳教育改革』第4号を読んだ。
 北海道の堀裕嗣先生も書いておられたが、民間団体の機関誌としては大変読み応えがある冊子である。

 深澤代表の巻頭言、そして特集は野口芳宏先生を始めとしてそうそうたる陣容で執筆している。
 そうした論文もおもしろかったが、それ以上に?惹かれた連載があった。

 「メンタルケアの現場より」と題して長田百合子という方が書いておられる。
 名前は見かけたことがあるが、文章を読むのは初めてのような気がする。
 あるひきこもりの青年の話の顛末を書かれているが、仕事のあり方について学ぶべき明快さを強く感じた。
 冒頭に長田氏はこう書いている。

 私のメンタルケアは学問とは一切無縁で、日本人が受け継いできた伝統に則り、一人の母親の立場に立って「親心」と「共に行動する」ことを主体にして子ども問題の解決に取り組んで来ました。

 そして「向精神薬の恐怖」と題された一節には、長田氏が経験してきたことから、こんな考えを持っていたことが書かれている。

 私は薬物を一度でも口にした子どもは決してメンタルケアにあたるまいと決め込んで来た
 
 実はこの原則を崩した事例のことが書かれているのだが、その対応の筋に強く惹かれるものがあった。

 ひきこもりの息子を持つ親に対して、既にその息子は薬を処方されているので「親だけなら」ということで塾への入会を許す。そして親の努力もあったのか、事態が好転しひきこもりから脱した息子だったが、結局三ヶ月で仕事を断念、直接息子本人が長田氏にケアを受けたいと要請してきたのだった。
 これに対して、確かに薬を服用したことがあるのだが、自らの働きかけにより出た結果に対しては断る理由を見つけられないと、潔く要請に応える長田氏。こうした責任の受け止め方には深く頷かされる。

 そしてメンタルケアは開始されるのだが、ひきこもり九年分を取り戻す本格的な訓練にはなお慎重な対応を見せて、本人の様子をじっと見守る。意識改革が進んだ頃、医師の診断を受け現在の状態に異常がないことを証明しようと思ったが、心療内科での診断結果は「統合失調症」。
 その結果と診察内容に唖然とする長田氏。こう言い切る。

 私だって心の専門家だ。そんな私の目から見て、お前が病気の筈がない。ええい、こうなったら心療内科のはしごをしよう。

 この思い切りのよさ。きっと側にいる人は元気になるに違いない。
 人を育てる仕事にも慎重に進むべき部分だけでなく、明快さを強く打ち出す場面はきっと必要だ。

 そして、心療内科のはしごは、三軒目で「白」の診断がくだされる。