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進展はこう遣え、と気づく

2010年02月02日 | 雑記帳
 『ちくま』の2月号巻頭随筆に、作家のなだいなだが「少子化対策ってなんだ」という文章を書いている。

 「少子化社会対策基本法」の前文の一部を引用しているが、その法律の文章中にどうもひっかかる箇所がある。

 わが国の急速な少子化の進展は、~~
 少子化の進展に歯止めをかけることが~~

 この「進展」という言葉である。
 少子化への対処にかかわる文章では「事態の克服」「状況に配慮」といった表現が用いられていることを考えてみても、少し違和感を覚える。

 進展とは、このパソコン辞書では「(時とともに)進行・展開」とあり、その意味では正確な使い方なのかもしれない。
 しかし「展」は「発展」のイメージとしての「のびる、ひろがる」が強く、何か肯定的な印象を持ってしまうのは自分だけだろうか。

 いや、少子化は肯定的に受けとめるべきだという考えもあるかもしれない。
 随筆中にも書かれているが、「富国強兵のための、あからさまな国策」として出産増が叫ばれていた時代に比べれば、比較できないほど個人の尊厳が守られていることは確かなのだ。
 そういう意味で少子化はある意味で目指した姿、当然の帰結であり、「発展」なのかもしれない。

 にも関わらずこの国は、少子化を問題視し「我等に残された時間は、極めて少ない」と法律に書かざるを得ない状況に陥っている。
 つまり、政策の失敗。
 そしてそれを認めたくない心理が「進展」という、どちらにもとれる言葉になった…というのはかなり偏見ですね。

 少子化は、部分的な施策や一時的な救済などで解決できないことは目に見えている。社会全体の手当が必要だ…
 と、そんなふうに考えると「進行」や「拡大」よりも、もっと波及しているイメージの「進展」が遣われているのは、やはり妥当なのかなあ…とも思う。

 しかししかし、肝心なのは「『少子化の進展』への対処」よりも「『少子化社会の進展』の方策」であることだと、書いていて気づく。