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看板役者の引退劇

2010年02月07日 | 雑記帳
 相撲っていうのは、つまり、芝居ですよね。歌舞伎みたいなものの一部分です。
 
 吉本隆明の言葉である。
 雑誌BRUTUSが吉本隆明の特集をしていて、これもまた糸井重里絡みで実に面白い仕上がりとなっている。

 冒頭の言葉を、今の朝青龍問題にあてはめてみたらどうなるだろう、なんていう思いがふと浮かんだ。

 残念ながらまだ大相撲を生で見た経験がないのだが、吉本の言う「芝居」というイメージがわからないでもない。様式美、形式美という点だけではなく、力士と力士の取組は「共演」という括り方ができるのだと思う。

 とすれば、今回の朝青龍の引退は、紛れもなく大俳優がいなくなることを意味する。その役回りは人によって見方が違ったけれど、「演技」に対する評価は様々であったけれど、確実に客を呼べる俳優を失ったことは確かである。

 もう一つ、違った視点として、朝青龍をめぐる一連の出来事もまた芝居のようであったとも言える。
 「○○劇」といった言い方があるように、著名な人物がいて、何か事件や騒動があり、一定の幕引きがあることはよく喩えられることである。
 しかし、相撲、横綱をめぐった一連の経緯は実に役回りも際立ち、脇役?陣も揃っていて見応えがあったように思う。
 それを作り出したのは、マスコミであることは疑いないが、私たち観客を意識してシナリオを強調していることも確かである。はまって観ている自分を俯瞰することは大切なことだ。

 さて、肝心の大相撲芝居の看板役者の引退は、本人自身の資質を抜きに語れば、あの親方の責任であることは明確ではないか。降格程度で収まることなのか、と思う。