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科学の特質で見る

2010年02月24日 | 読書
 唐突だが、科学って何だろう。
 それは辞書的に「体系的」「実証可能」といったまとめ方はできるだろうが、では教育の場でどうだろうと考えると、ずいぶん生半可な知識しか持ち合わせていない自分に気づく。

 「教育科学」と名のつく雑誌を購読していたり、かつてはそういう名前の団体の会員だったりしたのに、一体どういうわけか。

 『頭がいい人の 早わかり現代の論点』(樋口裕一著 草思社)を読んだ。
 会話術の類の本はいろいろあるが、会話内容という点を取り上げるというのは、なかなか面白い。
 まあ、そうはいっても社会的知識が豊富な人はこの手の本は読む必要がない。新聞程度からちょっと突っ込みたいと考えれば、コンパクトにまとめられていて重宝する。もっとも2005年刊であり、いくつかは過去のことになっているが…。

 さて、この本の中の「⑲科学 科学を重視する考えは間違っているか」という章を興味深く読んだ。
 自分が知らなかっただけと言えばそれまでだが、「科学の特質は何か?」という箇所はへぇなるほどと思った。著者は二つの特質を挙げた。

 「還元主義」と「二項対立」
 
 小さい単位にまで入り込んで分析するという意味での還元主義。
 これはわかりやすい。授業研究を例にとっても、子どもの発言や動きなどをどこまでも細かく見ていくことで、表面的な事象の理由、原因にたどりつくことがある。
 また教師の発問や指示の仕方であっても、内容や使用語彙、音声、表情・・・と様々な観点で分析できていくわけだから。

 では、もう一つの二項対立はどうだろう。
 現象を二つの対立する観点から説明することだ。
 「主体・客体」「イエス・ノー」「内面・外面」…いくつかの観点が考えられるし、案外授業研究としてはそういう発言はしているのかもしれない。
 教師と児童、集団と個、正答に対する誤答これらも絞り込んで対象化すれば結構見えてくるものは多いだろうと納得する。

 自然科学の世界では、還元主義に対して動的な作用への対応の難しさ、二項対立では曖昧な部分の切り捨てが問題視されているらしいが、これはひょっとしたら教育の場でも言えることだろう。

 ただ、その前提となる科学的な目が徹底されていなければ、批判以前の問題ということではないか。