すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

私にとっての「羽後なう」

2010年02月14日 | 雑記帳
 先週このブログのカテゴリーを見て、ふと「数」が気になった。
 もしかして1000ぐらいではないか…。
 案の定990を越していて、昨日の投稿で通算1000ということになった。

 知っている人は知っているだろうが、このブログ以前に別プロバイダーのときに始めたブログがあった。
 併行してこのブログを作ったのだが、当初はホームページで書きこんでいた「キニナルキ」ブログバージョンというイメージだった。しかし途中から雑多な感じになり、結局こちら一本に絞ったという経緯がある。

 以前のものも500程度は投稿したと思う。おふざけも結構あってそれなりに楽しかった。しかしまた、やはり「広告の裏にでも書いていろ」レベルであったことも否めない。
 いや、もっともこのブログであっても似たようなものだが。
 では、なぜ続けているのか…時々こう自問してみることは無駄ではないだろう。

 私の場合は単なる日記とはいえない。読書メモという形が大半である。読んで感じたこと、考えたことについて、多少他人を意識して文章化してみる、ということではないだろうか。
 書いた後に読み直して投稿するが、何度も推敲している文章ではないし、その程度であることはおわかりと思う。
 考えを深めて違う形にしてみたいという気持ちがないわけではないが、根性にかけるし力量も足りないようだ。
 ただ何かのときに、自分が書いていたことを読み直し参考にできるという点では重宝している。
 その意味で、ある程度習慣化している、できていることは貴重だと思う。

 10年前かなりリキを入れてホームページを作成した。これはプロバイダー変更によって廃し、若干をnextという形で残している。
 これもブログとリンクさせることでもっと活用ができるかなと考えている。

 ブログとホームページである程度、意図的・計画的な蓄積はできるのではないかという思いもある。
 ただそれがもはや時流にそぐわないものではないか、どうしてもストック重視ではないか、という考えも浮かび始めている。
 格好つけて「すべてはフローという覚悟」なんてことも書いたことがあるのに…。

 Twitterという存在が気になっているが手を出せない自分について考えていることもある。
 かの内田樹教授が昨日のブログにこんなことを書いている。

 「箱根なう」とか書くと、いろいろ楽しいことが起きるそうだが、私にはよく意味がわからない。
 「入試なう」と書いて、誰が面白がるのであろうか。
  
 私もまったく同様である。
 そこからすぐにアクションを起こせるかどうか、利用してコミュニケーションをとることが楽しい、刺激的だと感じられる精神がないんだなあ、と思ってしまう。

 まあテンポは一日一つ程度、少し長文?だろうけど、結局はこの更新が私にとっての「羽後なう」なのだろうと思う。
 これからも少しは面白がってもらえるよう投稿していきたい。