すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

とにもかくにも面白がる

2010年08月01日 | 雑記帳
 ひと月ほど前だったか、講読している地方紙に本県出身の脚本家内舘牧子女史の文章が載っていた。
 詳細は忘れたが、結論として言いたいことは「面白がる」ことの大切さであった。

 以前から、ああ齢をとったなあと思うのは、考えと行動のギャップが大きくなっている現実に気づくときである。
 こうしたい、やらなくては、と思っても動き出さない自分を感じたとき…「脳はなにかと言い訳をする by池谷裕二」である。

 そういう自分を、面白がる。

 考えと行動のギャップは、日常生活の動きでも現れる。
 何気なく居間を歩いていても何かに足をぶつける。
 シャツの穴にボタンを通すのに妙に時間がかかる時がある…ひょっとして病気…そこまで感じる頻度ではないけれど。

 そういう自分も、面白がる。

 対人関係でのストレスは避けられない。何かで気晴らしをしてみたり、腹立たしい自分の心の中を細かく分析してみたりして、なだめている日常が続く。
 くだらないと感じる雑多な業務(何とは言いませんが)、世の中のきれいな部分だけが正当化され、それによってちょっと弱く甘えのある「ささやかな幸せ的部分」は締め付けられる一方だ。時々嘆いてみたりする。

 そこで落ち込んでいる自分も、面白がる。

 目の前の出来事で手いっぱいにならないで、思考をほんの3メートル上部に飛翔させたら、それはそれはずいぶんと違った世界が見えてくるはずだ。

 そんなふうに呑気な自分も、面白がる。