すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

涯てを作らない男

2010年08月05日 | 読書
 先日の弘前の講座で実践発表なさった井関先生も、読書の部分でさらっと口にしていたが、「伊坂幸太郎」は面白い。

 今日読み終えた『砂漠』(新潮文庫)も実に軽妙、洒脱というか、娯楽としての読書を満喫させてくれる。
 伊坂独特とも言える人生訓的なメッセージの入れ方がなんとも言えず心を浮き足せるし、それを口にするキャラクターのたて方が本当に上手だ。

 今回は主人公北村を中心とした5人の大学生活を描いた青春小説?だが、中でも際立つのは「西嶋」だ。
 解説子もその人物だけを取り上げて書いているほど、西嶋の言動は人を惹きつけると思う。

 実際の登場場面は、宴席に突然飛びこんできて対米批判を繰り広げるようないわゆるウザイ男なのだが、どっこいこの西嶋は、そこに漂っている「空気」の真実味のなさを指摘する存在でもある。

 つまりは、誰しもが心の底で思いながら願いながら、けして口にしない実際に行動しないような類のことを具現する。それを見せ付けられることによって、圧倒されながら爽快感を得る、そんな感じだろうか。
 友人たちが口にする評価は、多くの人がどこかに抱えている希みでもある。

 恰好悪いけど、堂々としている

 見苦しいけど、見苦しくない

 その中でも、この表現は好きだなあ。

 西嶋には涯てがない

 そして、本当は誰しもそうなのではないかと、夜中に考えたりする。
 涯てを作ろうとしているのはきっと自分自身で、もしその涯てが見えているのだとしたら、それは幸せなことではない。