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生き生きとした言語活動、昼も夜も

2010年08月08日 | 雑記帳
 以前ここでも紹介した研修会を終え、自分なりに印象に残ったことをふりかえってみたい。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/d/20100706
 
 前半のミニ講座について、研修部や役員以外の方が引き受けてくださったことは非常に大きい。人選にもっと難航するかと思っていたが、さすが我が研究会のスタッフは優秀であるし、まだまだ掘りおこせるように感じた。
 実際の運営、内容面でいくつか改善が求められると思う。大きな点は時間が延びたということだが、これは全体を通して不要な言葉が多いということに尽きる。私自身も反省する必要がある。

 午後からの模擬授業、パネルディスカッションは収穫の多いものだった。
 二人の講師を招くことも、模擬授業のあとに講話や講演という形をとらないことも初めてではあったが、周囲の評価を聞いてもまずまずだったのではないか。

 何より時間的な制限の中で、絞り込んだ主張をしてくださった二人の講師の力が大きい(人選をした私もエライ、と言ってもいいでしょう)。ただ、進行役としては予想通り不十分な仕切りであったし、このあたりは修業が必要なところか。

 照井先生のお話のなかに、「『生き生きとした言語活動』より『学力形成』を」ということがあって考えさせられた。
 研修会のテーマ(実はこれが研究会組織のテーマ)が「生き生きとした言語活動のある授業」であったことを踏まえ、とかく活動主義に陥りいりがちな昨今の風潮、甘い認識を批判されてのことだと思う。

 安易に決めた文言ではなかったが、少なくても解題はしっかりしておくべきと反省させられた。つまりは「何を学ばせるための言語活動か」という意識を常に顕在化しておくことである。
 「各教科における言語活動」などという言葉が声高に叫ばれているが、どのレベルでそれが行われるものか注視したい。

 いつもながら自在な授業を見せてくれた京野先生の話の中に、年間を通しての授業の構想、あり方を示す発言があったことは、とても興味深い。
 紀要や雑誌等で発表された様々な論考の中に表されている、様々な読みの観点、技能というものを身につけさせていくために、意図的な展開があることは当然だろうし、今度はその筋道なども話題にできればと思う。
 いわば、自在にあるための布石とでも言おうか…。

 「布石」といえば、社会科の某名人教師のキーワードの一つではあるが。

 そういうことで?一番面白かったのは会終了後の小宴だったり二次会だったりするわけで、これは参加した人でないと分からず、そこではずいぶんと「生き生きとした言語活動による学び」が展開されたなあ、と深く納得してしまった。