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イチャモンに正対する力

2010年08月25日 | 読書
 『悲鳴をあげる学校』(小野田正利著 旬報社) 

 「イチャモン研究」の本である。
 素直に、わかりやすく前向きな内容だと思った。

 イチャモンの頻度はきわめて少なく安定した地域に務めている自分ではあるが、皆無ということではなく、本に書かれた事例と似かよったことを周辺から聞いたこともある。振り返れば、山間部の小さい学校でもイチャモンがなかったわけではない。
 そんなことを思い出しながら読み進めてみると、学校の置かれた立場の歴史的変移など実に納得のできるものだった。

 アメリカ型契約社会の浸透という面だけでなく、責任外在論が念頭にある人々(それはもしかしたら自分も含めて)は、不機嫌な感情のはけ口を常に求めていて、学校もその格好の対象になっているように思う。
 著者はそうした社会現象について、教育制度や政策にふれながら原因を探りあてているし、現状のいわゆる教育改革策についても深い疑念を抱いている。

 「子どもたちのために全力を尽くすべき存在としての学校」「機能不全に陥っていて構造改革を行うべき存在としての学校」という二つの論を「学校神話」と言い切り、それゆえ実像から離れ過ぎていて見えにくくなっているという指摘も納得である。

 そうしたいわば複合的構造を抱える中で提示されるイチャモン。それにどう対応するか、その理解の仕方、様々なアイデアや事例も出され、参考になる。
 ただ、次の文章の意味はかなり重い。

 問題は、そういった冷静さを持ちえるだけの「ゆとり」と「体力」そして粘り強い「気力」が、学校や教育の現場当事者にあるかどうかです。
 
 現実にそうした事例があまりないとしても、いつどんなことが起こってもおかしくない世相であることだけは確かだろう。

 来てはほしくないそのことが、いつ来ても身構えられるように養っておくべきことはたくさんある。

 日常の仕事の中に、子どもや保護者との接し方の中に、相手の心情を察する想像力を駆使できるよう努める。地味だけれど、そうしたことに尽きるのではないか。