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基準を自らに課す厳しさ

2011年01月20日 | 読書
 『教師のための 叱る作法』(野口芳宏著 学陽書房)

 「『叱り』の成立」と題して、読者7000人ほどのメールマガジンに原稿を載せたことがあった。
 心のつながり、そして叱り方の一貫性ということを結論付けた論考だったが、暴力行為について否定的な見解を述べた部分もあった。
 そこに喰いついたのだろうか、一通の感想メールが届いた。

 あなたのような軟弱な考えが戦後の教育を荒廃させた

 匿名であったために反論は叶わなかった。ただ自省として、軟弱なのかなあという小骨のような引っかかりは残っていた。
 
 野口先生の今回の本を読んで、それは何か、どんな形をした小骨なのか見えた気がする。
 
 「基準を自らに課す厳しさ」と表せるだろう。
 先生の叱る基準、原則はずいぶんと以前から知っていたし、自分もそのようにと心がけていた。
 
 生命の危険にかかわること
 他人の不幸の上に自分の幸せを築くこと
 三度注意して、改善の見込みが認められないとき


 明確である。
 しかし、よく振り返ってみて、細かな部分(そしてそれはとても大切場面であったりする)で見過ごしてきたことはなかったか、と不安になる。

 この本の一節に、先生が六年生をもっていた時の誕生月のお祝いのことが記されている。担任であった先生を祝うために子どもたちが少し羽目をはずした内容を取り上げた。
 その「翌日」に、先生は子どもたちを諭したという。
 そのような場での行為について叱ることなど、「大人げない」「大らかさがない」と評価されるむきもあるのかもしれないが、先生は毅然として叱る。

 きみちたちが世の中で笑われるようなことをしていけないから

 こう言って指摘したとき、会の責任者を務めた子はわっと泣き出したという。
 
 自分にはそこまでの厳しさがない、と正直に思う。
 秩序に支えられたまさしく正しい教育の姿だと思う。

 心のつながり、叱り方の一貫性…言うにはたやすい。
 しかしそれを基準にした言動に対して鈍感になっているのではないか、と反省させられる。

 はい、軟弱でした、と言うしかない。