すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ヨンパチを懐かしむ

2011年01月27日 | 雑記帳
 降り続いていた雪のせいで、会話もまさに「雪一色」である。

 連日繰り広げられるそんな話題のなかに「ヨンパチ」という言葉が出始めたのは、先週の半ば頃だったろうか。
 さすがに半月も晴れ間を見ていないと不安が募ったと思う。

 ヨンパチ… ヨンパチゴウセツ… 48豪雪… 昭和48年から49年にかけての冬のことである。

 なんとWikipediaに載っている。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%AB%E8%B1%AA%E9%9B%AA

 私の住む地域で最大の積雪量を記録した冬。
 
 その年、受験生だった自分は、もう二月早々に登校しなくてもよかったので、直接的な被害の記憶はあまりない。
 しかし思い出を語る人の口からは、様々なエピソードが紡ぎだされる。

 バスも何も動かず、歩いて通学した…
 電線をまたいで渡ったものだ…
 二階の窓から出入りした…

 その前年通っていた電車が廃止になり、バス通学になったのだがわずか10キロ進むのに4時間もかかるような日があったことは確かだ。
 ただそんな酷い思い出以上に、高校生活最後の日(卒業式ではなく、明日からもう自宅学習してよいと言われた日)に、夜遅くまで遊び呆けた記憶の方がずっと強く残っている。奥羽本線に乗って少し遠くの駅まで出かけ、初めて訪問する友の家で遅くまで駄弁りながら泊まった、楽しく愉快な時間である。
 
 あの頃は、雪なんて怖いと思ったことはなかったなあ。

 守られていてばかりの暮らしに果たすべきことも達すべき場所も見えなかったからか。

 そして今…それにしても降り続いた。
 どうしようもなく狭くなった路地。
 改めて、空き家が目立つことや老人世帯なんだろうなあと思わされることのなんと多いことか。

 連日の事故報道、危険を感じるほどの周囲の状況、運転への気遣いの多さ…そんな中でも人は暮らしていける、と自分を元気づけるが、すこし怯えがあることも確かだ。
 重くなった心と身体を感じるのは、雪のせいだけではないかもしれない。

 ヨンパチが懐かしく思えてくる。
 怖さを知らない頃の幸せほど眩しいものはない。