すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「だから」にも訳がある

2011年01月31日 | 雑記帳
 「『だから…なに?』って友達によく訊かれるんだよね」
と、いつだったか函館の大学に行っている娘がこぼしていた。

 一瞬なんだろうと思ったが、もしかしたらと思い当たることがあって、話すとやはりその通り。

 我が家で話すときに、家族そろってとても頻度の多い言葉遣いがある。

 「んだがらあ」

 例えば、こんなふうなやりとりになる。

 「今日の雪、ひどかったなあ」
 「んだがらあ」
 「全然、前が見えなくなって、車運転してでも進まれなくて…」
 「んだがらあ」

 展開によっては、次のように続くこともある。
 「前の車のテールランプを頼りに進むしかなくてしゃあ」
 「んだがらあよう、前に車いない時はちょっと待って、後ろの車越させたりしてなあ」

 「んだがら」は、「んだ」+「から」という形ということだ。
 「んだ」は「そうだ」「その通り」という秋田方言としてエース級ののことばである。それに原因・理由を表す「から」をつけたことになる。
 そうすれば、「それだがら」という所が妥当な訳だが、我が家では(いや、そういう家も人も結構多いと思う)では、「そうだね」という同意のニュアンスが強いように思う。
 もっと言うと「んだから、大変だったね」「んだから、本当によかったね」などの省略とみることもできるだろう。

 家族皆心優しい(笑)ので、「んだがら」が連発されるときもあり、ある時そのことを笑いあって話したこともある。
 娘にしてみればそんな調子で、少し方言色を消して「だからあ」などと口を合わせていたとすれば、「だから…何?」と突っ込まれるのは当然なのかもしれない。

 それでも大事にしたい言葉だな、と改めて思ったのは、野中先生のブログにこんなことが書かれていたから…。

 通ずるものを感じた。

 「んだがらあ」