長いような短いような冬休みが終わった。
正直なところ、あまり生産的なこともできず、かといって読書三昧ということにもならず、ぼんやりとした年明けからのスタートだ。
理由ははっきりしているが、そのことに囚われていてはちょっとしんどくなっていく。学期開始を機に、今年の再スタートとしたい。
ぱらぱらと雑誌をめくっていたら、ある言葉が目に入ってきた。
プリコラージュ
人類学者レヴィ-ストロースの言だという。
手持ちの雑多な材料を組み合わせて別の物に作り変え、新しい状況に対応していく方法を指している。
新しいことに挑戦したい気持ちはあるのだが、年々腰が重くなっている。様々な衰えを感じている現実だが、無理がきかないからといって、その状態に身を任せていては、もう真っ逆さまだなということもわかる。
そこでどうするか。
今まで手にかけてきたことをもう一度見直して、息を吹きかけてみる。ものにならなかった数多くのことを並べてみて、分けてみたり、組み替えてみたり、混ぜてみたりする。
まず、落穂拾いのようなものだな。
なんだか、あまり見栄えのしない、景気のいい話ではないが、自分に今必要なのは、いや有効なのはそういうことなのかもしれない。
と考えると、この休みにわずかに手をかけたのは、ここ4,5年の自分の原稿等のまとめだったなあ。一区切りをつけたいという思いもあって、年末から整理している。
なんだ、結構いいことをしているじゃないか。
ブリコラージュへ踏み出す三学期…ちょっと格好をつけてみると、それなりに元気が出てくる。
正直なところ、あまり生産的なこともできず、かといって読書三昧ということにもならず、ぼんやりとした年明けからのスタートだ。
理由ははっきりしているが、そのことに囚われていてはちょっとしんどくなっていく。学期開始を機に、今年の再スタートとしたい。
ぱらぱらと雑誌をめくっていたら、ある言葉が目に入ってきた。
プリコラージュ
人類学者レヴィ-ストロースの言だという。
手持ちの雑多な材料を組み合わせて別の物に作り変え、新しい状況に対応していく方法を指している。
新しいことに挑戦したい気持ちはあるのだが、年々腰が重くなっている。様々な衰えを感じている現実だが、無理がきかないからといって、その状態に身を任せていては、もう真っ逆さまだなということもわかる。
そこでどうするか。
今まで手にかけてきたことをもう一度見直して、息を吹きかけてみる。ものにならなかった数多くのことを並べてみて、分けてみたり、組み替えてみたり、混ぜてみたりする。
まず、落穂拾いのようなものだな。
なんだか、あまり見栄えのしない、景気のいい話ではないが、自分に今必要なのは、いや有効なのはそういうことなのかもしれない。
と考えると、この休みにわずかに手をかけたのは、ここ4,5年の自分の原稿等のまとめだったなあ。一区切りをつけたいという思いもあって、年末から整理している。
なんだ、結構いいことをしているじゃないか。
ブリコラージュへ踏み出す三学期…ちょっと格好をつけてみると、それなりに元気が出てくる。