すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

現場から伝える人の力

2011年12月05日 | 読書
 先月末に花巻へ出かけたとき、ホテルのフロントに並べられていた一冊。

 『被災地の本当の話をしよう』(戸羽太 ワニブックスPLUS新書)

 週末に行きつけの書店のコーナーで見つけた一冊。

 『官僚の責任』(古賀茂明 PHP新書)

 どちらの新書もこの夏に発刊され、版を重ねている。
 話題になっている人物の著書であることが共通点と言えるし、書いている内容は全く違うが、現在の日本を考えるうえで貴重な「証言」という見方ができると思う。

 人口およそ二万五千の陸前高田市。今回の震災によって二千人を超す死者・行方不明者を出している。就任一カ月足らずの戸羽市長の奮闘ぶりについてはマスコミで取り上げられたので、印象は残っていたが、もうちょっと詳しくと思い、ささやかな支援の意味も込めて手にとってみた。
 事実と思いをストレートに語る戸羽市長の文章は、内容の深刻さもさることながら、この国の、非常時における動きの鈍さ、凝り固まった思考を具体的に指摘しており、考えさせられることが多い。

 「被災者支援、復興を迅速に」という声はずっと連呼され、思うように進まない現実の状況、問題点の解明など、よくマスコミ等で流されるが、ではどうするかという問いの前でなかなか進まない。
 その訳は、端的に言えば足を引っ張っているあちら側の人間が確かにいるということだ。それもおそらくそんな意識は全く自覚していないだろうし、もしかしたら自分だってあちら側に足を踏み入れているのかもしれない。

 ほんの数行しか書かれていないが、被災地に足を踏み入れたある国会議員の信じられない行動は、よく取り上げられる失言報道などとは比べものにならない。
 現場に居る人の伝える力の重さを感じる著だ。


 古賀氏もある面では、現場に居る人だ。
 彼の進めようとしていることが、正しいかどうか安易に判断できるほどの知識や展望は持ち合わせていない。しかし、えぐり出してみせた官僚の実態はあざやかに迫ってくるものがある。
 例えば次のような文章だ。

 たとえば何か国民を巻き込む事故が起こったりしたとき、「今後それを防ぐためにこうします」と政策が発表されると、一般の人は「国が支援してくれるのか。厳しく取り締まってくれるんだな」と思うだろうが、官僚の感覚ではこうなる。「ああ、またナントカ協会をつくって、金をバラまくのだな…」

 その思考回路が導きだしていることが、ひょっとしたら行政につながる教育現場の中にも浸透しているような気がして、納得しながら苦々しい思いをもつのは私だけだろうか。
 問題を自分に求める根本的な視点の向きが違うことを、案外人は気づかない、そしてその向きに慣れ、それ以外の道など目に入らなくなっていく。自戒したい。


 政治や官僚の世界を一括りすることはできないかもしれないが、政権交代に伴って変わったこと、変わらなかったことを改めて思い起こしてみると、強固に張りめぐらされている網の目のような印象がある。
 一つを変えようとしたときの逆風は、我々には想像つかないほど烈しいようだ。
 ただ勇敢?にもその場に立っている人たちの姿を認めることができるし、きちんと耳を傾ければ聴くこともできる。

 現場から伝える人の力を感じとろうと思う。