冬至のことを調べていたら、「一陽来復」という言葉に出会った。
佐藤正寿先生がブログで書かれた「冬至の小話」にも載っていた。
一陽来復…『天地明察』を読んで四字熟語の世界に浸ったこともあり、妙に心に沁みてくる言葉である。
冬至を「太陽の力が復活する日」と位置付けると、なるほどその日から、陽つまり明るい運気がもどってくるとするのは、なるほどと思える。
少し字を眺めているうちに、陽、来、復はその通りとして、では「一」とは何かと考えた。
「一」は「一つ」「はじめ」の他に「全て」「まとまり」という意味があるから、おそらく後者だろうと予想してみる。
出典は、以下のページに書いてある。
http://kanbun.info/koji/ichiyorai.html
うーーん、これはちょっと外れたかなという感覚で受けとめる。
さらに調べてみると、こんな解釈ページが…
http://www.st.rim.or.jp/~success/itiyou_ye.html
なるほど。この「一」とは、これは一筋の光というイメージか。それを手始めにして陽が戻ってくるというストーリーなのだ。
今、置かれている状況が、曇天であったり、しとしとと降り続く雨だったりしている人は少なくないだろう。
けして「運気」だけで解決できるわけではない、またそんな個人的な問題ではない、という場合の方が圧倒的かもしれない。
しかし「一陽」はあると信じて足を進めることの大切さ、その心がけが今の時代に必要なのではないか。
そのためには、下を向いていてはいけない。何か落ちていないかときょろきょろしているようでは駄目だ。
また視線が常に周辺にしかないようでは、クズのような、すり寄ってくるだけの情報しか見えてこない。
視線を上げる。
曇天であっても、しっかり見据える。
一陽はそうすることで目に留まり、来復を引き寄せることができる。
今年の冬至はいい言葉を知ったなあ、と忘年会明けの二日酔いの頭で考えた。
佐藤正寿先生がブログで書かれた「冬至の小話」にも載っていた。
一陽来復…『天地明察』を読んで四字熟語の世界に浸ったこともあり、妙に心に沁みてくる言葉である。
冬至を「太陽の力が復活する日」と位置付けると、なるほどその日から、陽つまり明るい運気がもどってくるとするのは、なるほどと思える。
少し字を眺めているうちに、陽、来、復はその通りとして、では「一」とは何かと考えた。
「一」は「一つ」「はじめ」の他に「全て」「まとまり」という意味があるから、おそらく後者だろうと予想してみる。
出典は、以下のページに書いてある。
http://kanbun.info/koji/ichiyorai.html
うーーん、これはちょっと外れたかなという感覚で受けとめる。
さらに調べてみると、こんな解釈ページが…
http://www.st.rim.or.jp/~success/itiyou_ye.html
なるほど。この「一」とは、これは一筋の光というイメージか。それを手始めにして陽が戻ってくるというストーリーなのだ。
今、置かれている状況が、曇天であったり、しとしとと降り続く雨だったりしている人は少なくないだろう。
けして「運気」だけで解決できるわけではない、またそんな個人的な問題ではない、という場合の方が圧倒的かもしれない。
しかし「一陽」はあると信じて足を進めることの大切さ、その心がけが今の時代に必要なのではないか。
そのためには、下を向いていてはいけない。何か落ちていないかときょろきょろしているようでは駄目だ。
また視線が常に周辺にしかないようでは、クズのような、すり寄ってくるだけの情報しか見えてこない。
視線を上げる。
曇天であっても、しっかり見据える。
一陽はそうすることで目に留まり、来復を引き寄せることができる。
今年の冬至はいい言葉を知ったなあ、と忘年会明けの二日酔いの頭で考えた。