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「幸福の方程式」を知る

2011年12月07日 | 雑記帳
 先月の末だったと思うが、BSでブータンのことを取り上げた番組があったので、今話題の国の基礎知識(笑)として視てみた。

 調べたら、これでした。↓
 http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0802400

 「国民総幸福量」という言葉については以前から目にしていたが、具体的な施策が挙げられていることは知らなかったので、なるほどねえという感じで見入った。

 持続可能な社会経済開発
 自然環境の保護
 伝統文化の振興
 優れた統治


 この四点目が他を包括するという見方もできるが、結局は民衆の意識との双方向の中で築かれていくわけであり、そのあたりのバランスは難しい。
 ネット解禁による情報の流れ込みをどうこの国は受けとめるか、これからが注目だ。

 さて、今日の朝刊一面紙上に「時評」として、本県出身の佐藤隆三氏(ニューヨーク大名誉教授)の文章が寄せられた。確か毎月か隔月で載っているものだ。
 そのタイトルは「幸福は測定できるか」。

 この命題は、自我が芽生える頃の年齢より上の者にとって、一度は頭をよぎることではないだろうか、と思う。
 筆者が言うところの「悟り(百パーセントの幸福感)に到達」した人以外は、これからだって大きな問いと言えるかもしれない。

 日本政府は幸福を測る指標の試案をまとめたそうだが、例えば仮にその通りに何か統計的なことが実施され、「貴方の住む地域は、幸福度第1位です!」と叫ばれたとしても、大方は「ええーっホント?」「それが何なの?」と言うに決まっているのではないか。

 もちろん、統治者にとっては嬉しいことに違いない。
 まあ、それからそういったデータに引き寄せられるように喜んだりできる人もきっといることだろう。

 だが、逆にその結果が悪ければ、それらの人は悔しがり、残念な気持ちになるとも言える。

 そうすれば、感覚的にはそうした外部の情報に左右されずに、不動の心を持つことが肝要なのではないか。それを幸福な姿と言うべきではないか、そんな気がする。

 いや、そもそもそんな情報には目もくれずに、今ここにあることを喜び、他の人のためになるように尽くすこと…凡人にはほど遠い境地だが、半歩でも近づきたいのは正直な気持ちだ。

 佐藤氏がその紙面で、師(サミュエルソン教授)の言葉として紹介している「幸福の方程式」。
 いつも身につけて歩きたい、実に明快な定義である。

 幸福は、所得と富に比例して増大するが、欲望に反比例して減少する。