すぷりんぐぶろぐ

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少し震災にからんでみる

2012年03月28日 | 雑記帳
 この日曜に気仙沼で行われた復興イベントに参加した。

 たいしたことはできなくとも,直接足を運んでみることは無駄ではないと思ったし,こうした機会を利用してなら,ある程度継続的な支援ができるかもしれないと考えた。

 被災地の現場では,写真一つ撮るにしても少し複雑な気がするが,「どんどん撮って伝えてほしい,他の人に話してほしい」という現地の方々の声も確かにあるわけだし,そんな方法もありかなと思った。
 しかし,実際カメラを構えてみると,中途半端な気持ちである自分に気づいたりして,なかなか割り切れないものだなと,もやもやしたことは正直に書いておこう。

 さて,今回その地に一泊しながらイベントが終わったあとに,車で回ったり,復興商店街や屋台村のようなところで物品を求めたりしながら,ある面でその普通さに少し驚いたり,安心したりした。

 もちろん,たくさんの方が亡くなった悲しみを内に抱えていることは予想されるし,時が過ぎ去ったとはいえ傷跡を毎日目にしている状況で,どの程度癒えた心身なのか安易なことは言えない。
 それでも,普通の言葉で,普通の音量で,普通に話している場面が多かったことは,繰り返される波の動きに似て,多少穏やかな日もあることを想像させた。

 そうやってもっと時が経ち,復興がなっていけばいいなあ…という願いとともに,混乱している現状に目をそむけてはいけないという気持ちも強くなった。
 それは,口幅ったいが,次世代,将来につながる,今生きている人間の責任でもあり,結局それが存在の証しのような気さえする。

 そんな気分のなかで読んだ『恋する原発』には,まったく参ってしまった。