ブータンブーム?もあり,「幸福論」が流行っているようだ。
興味ある分野だが,単行本を揃えて読むほどではない。軽く雑誌で読み流す程度である。そんななかで,久しぶりに買った「プレジデント」誌の冒頭論文がなかなか面白かった。
奈良雅弘という方が「頭の中にひそむ『幸せ泥棒』撃退法」と題して記している。
そもそも幸福とは何なのか?と切り出して,「福」「幸せ」「幸い」との比較を辞典の記述から解説しているところが,いかにも自分好みである。
そこから読み取れる他の感情(喜びとか怒りなど)との異質性として,次の二つを挙げているところがわかりやすい。
持続時間 総和性
そう考えると,震災後に特に強調された気がする「ふつうの幸せ」とか「当り前のことができる幸せ」という言い方は,明らかにそうした「比較的長く続く生の肯定的感覚」としての感情にあたるだろうなと,妙に納得した。
幸福のかたちとして,次の二つがあるという見方もなるほどだ。
達成型 偏在型
そして,日本人の多くは「達成型」を求め,そういう道を歩んできたが,まさしく壁にぶち当たっている。次の分析は確かであろう。
資本主義の最先端をいくがゆえに,いち早く直面することになった,近代的な「幸福なかたち」の限界。それこそが,「欲求の満たしにくさ」や「負の感情への陥りやすさ」を生み,日本人の不幸感を高めている
形づくりの型を言い換えれば,「なる幸福」と「ある幸福」。
目指すべきは決まっているのだが,それを決定付ける二つの構造,つまり社会と自分の思考がそれを許すか。
まあ,自分の思考ならば工夫次第だと,言いきってしまおうじゃないか。
「ある幸福」のかけらなら,どこにだって転がっている。
五月にはごろごろあるような気がする。
興味ある分野だが,単行本を揃えて読むほどではない。軽く雑誌で読み流す程度である。そんななかで,久しぶりに買った「プレジデント」誌の冒頭論文がなかなか面白かった。
奈良雅弘という方が「頭の中にひそむ『幸せ泥棒』撃退法」と題して記している。
そもそも幸福とは何なのか?と切り出して,「福」「幸せ」「幸い」との比較を辞典の記述から解説しているところが,いかにも自分好みである。
そこから読み取れる他の感情(喜びとか怒りなど)との異質性として,次の二つを挙げているところがわかりやすい。
持続時間 総和性
そう考えると,震災後に特に強調された気がする「ふつうの幸せ」とか「当り前のことができる幸せ」という言い方は,明らかにそうした「比較的長く続く生の肯定的感覚」としての感情にあたるだろうなと,妙に納得した。
幸福のかたちとして,次の二つがあるという見方もなるほどだ。
達成型 偏在型
そして,日本人の多くは「達成型」を求め,そういう道を歩んできたが,まさしく壁にぶち当たっている。次の分析は確かであろう。
資本主義の最先端をいくがゆえに,いち早く直面することになった,近代的な「幸福なかたち」の限界。それこそが,「欲求の満たしにくさ」や「負の感情への陥りやすさ」を生み,日本人の不幸感を高めている
形づくりの型を言い換えれば,「なる幸福」と「ある幸福」。
目指すべきは決まっているのだが,それを決定付ける二つの構造,つまり社会と自分の思考がそれを許すか。
まあ,自分の思考ならば工夫次第だと,言いきってしまおうじゃないか。
「ある幸福」のかけらなら,どこにだって転がっている。
五月にはごろごろあるような気がする。