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「将来の夢」立ち読み

2012年05月25日 | 雑記帳
 取り立てて珍しいわけではないが,本校では一人一人の子どもの写真に「がんばりたいこと」などを下に添えた形で掲示している。
 「将来の夢」という欄があり,これを読むのもまた楽しい。

 やはり多いのは,スポーツ関係,料理関係などだ。
 これはおそらく全国的に似たような傾向ではないか。
 となると,やはり目は「ユニークな夢」を書いた子の方へ向ってしまう。

 ある5年生の男の子。

 「漁し」

 山間地域に住む子がどうしてそう思ったのか。釣りが好きな場合もあろう。テレビなどの影響もあるかもしれない。
 そして「師」と書くべきところを「し」とした?表し方も巧みである。
 私はそんな大した者にはなれませんよ,と言っているみたいだ。武骨で無口な「漁し」が網をたぐる姿が見えてくる。
 まさか,「猟し」の間違いではあるまいな。

 同じ学年の隣の男の子は,こう書いた。

 「花屋になる」

 一昔前であるならば,100%女の子が書く内容だろう。
 エプロン姿に笑顔の似合う花屋の若主人というイメージか。
 いい身分である,きれいなお花に囲まれて過ごしたいだろうが,現実は仕入れがどうのこうので悩むんだよ(誰に難癖つけているのか)…。

 3年生の一人の男の子が,こんなことを書いた。

 「かみになって,いろんな人のゆめをかなえたいです。」

 素晴らしい…が,待てよ。もっと現実的な仕事をして,人々に貢献したいと思わないのか。「かみ」などというある意味お気楽な存在にあこがれるのは,どうも信用がおけない。
 「かみ」は「神」だと信じるが,「紙」や「髪」ではあるまいな。
 そういえば「守」も,「かみ」と読めるんだったな。

 どうも男は甘いなと思わされる。
 たとえば,2年生の男の子はちょっと異色の書きぶりである。

 「めざましテレビに出る」

 出たらいい。何度でも出たらいい。
 問題はその出方なんだろうけど。
 アナウンサーとか俳優とか具体的な仕事ではなく,テレビ番組に出るというイメージの描き方はどこかいびつな感じが残ってしまう。
 低学年の子の素朴な夢にケチをつけている自分も大人げないなあと思いつつ…。

 かと言えば,こんなことを書いた5年の子がいる。

 「とくしゅめんきょをとることです」

 「とくしゅめんきょ」とやらをとってどうする。何をするんだ,はっきり書け!
 とればいい日銭になるとか,とにかく免許はとっておいた方がいいという考えか。誰が吹き込むんだ,そんなこと。
 それにしても「とくしゅめんきょ」とは,また何か特殊な免許で,持っているだけで幸せが呼び込めるのかもしれない。
 欲しい,と呟いてみる。

 そこへいくと,やはり女の子は違う。

 ある一年生の子はこう書いてある。
 上の男の子たちと較べても,圧倒的な強さを感じた。

 「スパイになりたい」

 女はスパイを目指すものだ。