学校で、生徒も先生もいっしょになってさ、
「わからない」の時間を、やらないかなぁ。
条件は、ひとつ、
「先生もほんとにわからないこと」をテーマにして、
しつこく授業を続けていく
糸井重里~『ボールのようなことば。』(ほぼ日文庫)~
「?→!」が授業の筋道ではあるけれど、「!」には実は多くの「?」が眠っていて、その一つを揺り起こして次の時間に向かっていくはずだ。
つまり「!→?」。
そして、そういう姿勢や心がけと同時に、時には「ドデカイ?」とか「見たことのない色の?」とか、「目をよくよく凝らさないと見えない?」とかを取り上げて、ああでもないこうでもないと語り合う時間があるといい。
本当は、あの時間もこの時間もそう使って悪かったわけではないけれど、知らず知らずのうちに、「わからない」は悪者にされている。
「わからない」の時間を、やらないかなぁ。
条件は、ひとつ、
「先生もほんとにわからないこと」をテーマにして、
しつこく授業を続けていく
糸井重里~『ボールのようなことば。』(ほぼ日文庫)~
「?→!」が授業の筋道ではあるけれど、「!」には実は多くの「?」が眠っていて、その一つを揺り起こして次の時間に向かっていくはずだ。
つまり「!→?」。
そして、そういう姿勢や心がけと同時に、時には「ドデカイ?」とか「見たことのない色の?」とか、「目をよくよく凝らさないと見えない?」とかを取り上げて、ああでもないこうでもないと語り合う時間があるといい。
本当は、あの時間もこの時間もそう使って悪かったわけではないけれど、知らず知らずのうちに、「わからない」は悪者にされている。