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そいつは、敵じゃあない

2012年05月16日 | 雑記帳
 ある会議で「少子化との戦い」という言葉を耳にした。

 どこか違和感が残った。
 それはなぜか、と思い始めるとまた話に身が入らず、そちらの方ばかりに考えがいく。思考中断。

・・・・会議が終わり、考えをめぐらすことのできる時間となった。

 「戦い」には相手がいる。
 つまり「敵」である。
 この場合の敵は、誰、何が想定されているのか。

 まず「少子化」をくい止めようとするのか、そうでないのかが問題である。
 聞いた場においては、直接少子化そのものをくい止め、多子化を目指すということではないだろう。つまり、そのものではなく派生した何かが相手である。

 おそらくは、少子化に伴って仕事のあり方が変化しているので、その対応を急がなければならない、それを「戦い」と称しているに過ぎないのだろう。
 この表現には、直接それに関わる者を鼓舞する、叱咤するという意味あいが込められている。

 もう少しこだわってみれば、様々な現象、傾向がでてきて、その対応を「敵」と見ることは、いったいどうなんだろうという気がしてくる。これは支配したい人が使うことばなんだろうか。


 『そいつは、敵じゃあない』

 という糸井重里の呟きのような言葉がある。

 少なくとも、少子化や高齢化は、敵じゃあない。

 少子化や高齢化によって、困ることは出てきても、それは当然。まったく逆のことが起こっても、困ることはたくさん出てくるのだから。

 今の状態と仲良くしよう、味方につけようという発想…具体的にこうだと特定できないけれど、寄り添う気持ちが一番かなと思う。
 ある点だけを取り上げてそれを攻撃の対象とする傾向はないか、まずは自己点検から。