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えてしてそういうもの

2013年02月03日 | 読書
 訪問するサイトで話題になっていたので、購読した。

 『まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育』(有元秀文 合同出版)
  
 著者と直接の面識はないが、長く国立教育政策研究所に勤めておられたことは知っていたし、二、三度話を聞いたような記憶がある。
 言語技術教育に関わる研究者として、主に読書教育の面からのアプローチが多いという印象を持っていた。

 また確か一昨年だったと思うが本県の何かの会で、いわゆる「学力日本一」に関する批判めいた意見を述べたということを聴いた。本著のなかにも、少し関連している記述もあった。

 著者は前書きにおいて、「本書は私の卒業論文である」と記していた。

 私は、正直こんなものか、と思ってしまった。
 著者が提起している国語教育の問題は、確かに鋭い指摘ではあるが、そして自分も納得できる点も多いことは認めるが,どこか「言いたい放題」の感を拭えない。

 公的な職を辞したので、思いきった本音を吐露したのだろうし、それは我が国の国語教育、この国の未来を思って提起しただろうことはわかる。
 また、問題の核心をずばりと言い切る痛快さもある。

 だが読み進むにつれて、すっきりした気分になる本かと言えば、それは逆だった。
 痛快な批判の対象のなかに、自分も含まれているからというわけではない。

 変えなければいけない点などは多くの教員が承知していることではないのか。そのための筋道もある程度は見えているのではないか。
 しかしその歩みの遅さや効果の無さに歯ぎしりしている現実があるのだと思う。

 著者はヒントは出したというかもしれないが、私にはそれが読み取れず「作戦は任せる」と突き放された感があるという印象を持ってしまった。
 細かい部分に関しても「政治的中立」と問いの中身のこと、例文の挙げ方の妥当性などいくつか引っかかりを感じた。
 もしかしたら、一冊に仕上げるための内容選択や構成の問題があるのかもしれないと、生意気なことも考えてしまった。

 ただ、最後の「ブッククラブ」の章は実に興味深く読んだ。
 特に目新しいことが書かれているわけではないが、「問い」について分野わけがされている。
 12月の花巻での会以来、「発問」については、野口先生の指導なさる枠組みとは違う観点を自分が持っていることを確信し、その点を整理していくためのヒントを得たような気がした。

 総体的な印象はけして良くないが、時期をおいて読むと違ってみえてくるのかもしれない。卒業論文とはえてしてそういうもの。