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「混乱」の道を行く私たち

2013年02月15日 | 読書
 『移行期的混乱』(平川克美 ちくま文庫)
 
 この文庫を読み終わった日に,内閣支持率が上がったと報道されたのは偶然にしろ,自分にとって印象深い。

 この著は,2006年をピークに長期的人口減少となる我が国の現状をどうとらえるか,そしてどのように向き合うべきかを述べている。
 ビジネス書のように,具体的な対応や処方についてのヒントを語っているわけではない。
 しかし,いくつもいくつも考えさせられる文章があった。

 物価上昇率と経済成長とは同義ではないだろうが,この著は現在進められようとしている政策の質を,真っ向から問いかけている。

 現在の日本に必要なのは,経済成長戦略ではなく,成長しなくともやっていける戦略だ


 一定のデータを示し,転換期であることを読み解いた第1章,そして2~4章では高度成長期から現在に至るまでを三期に分けて,労働の現場と人々の変遷を独自の視線で提示してみせている。

 東京の町工場の家に生まれ育った著者と,数歳年下で秋田の農家に生まれた自分との差は大きいが,その分析や感覚には納得,共感できるものが大きかった。同時にのんびりぼんやり過ごしてきて今頃わかったことの多さを感じつつ,逆戻りできない地点にいる情けなさも時々湧き上がってきた。
 この著にそれを打開する未来のビジョンが明確に示されてはいないが,私達がふだん使っている重要な言葉について吟味し,その意味を救わねばならないと思わされる知見がある。

 例えば,「格差」という「物語」が生まれる背景について,そのプロセスとして浮かび上がること。

 バラバラに切断された個人は,常に他者との比較,あるべき自己との比較において,自らを同定しなければならない。


 例えば,巻末に収められている鷲田清一氏との対談で語っていること。

 多様な生き方っていうのは,今一番強力な権力を持っているマネーを捨てることによってしか獲得できない。

 ここずっと,持ち続けている関心のなかに,自らの立ち位置を知ることがあった。それは一面で急激な社会変化に飲み込まれそうな,もしくは飲み込まれている自分への漠然とした不安があったからだ。
 一定のレベルで俯瞰していたつもりではあったが,この著を読んだことで,もう一つ大きな視野が見えてきて,ほんの少し居直る術を身につけられるかもしれない。

 私たちは「混乱」のなかにいる。
 いくら経済成長戦略が宣伝され,仮にいっとき何かが良くなったとしても(それを喜ばないというわけではないが),安定や新展開はまだまだずっとその先にあり,しばらくは(それは「生きているうち」と同義だ),そんな道を行くということだ。
 それだけは,はっきりわかる。