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「読解」の波に身をまかせて

2013年05月23日 | 雑記帳
 年度末の研修総括で「的確に読み取る力」について反省が出た。それを新年度からの重点とすることになったが、一言喋ったのは、継続していく主題「伝え合い、考え合い」との関連及び位置づけであった。なんとなく感じてしまうのは、教える最前線はいつも「表現」と「理解」を行き来する繰り返しということ。


 「読み取る力」となると普通は「読解力」。しかし確か学習指導要領そのものには「読解」という用語はなかったはずだ。その理由を探れば見えてくるものがある。いずれ古くからの読解と、例のPISA調査以降の「読解」の差は大きい。私達が取り上げたいのはどちら。また取り上げなくちゃいけないのはどちら。


 「読解」は周期的な波のように現れて、その度に出版業者が潤ったり?教委や学校は作成物が増えたりする常がある。平成18年の波は結構大きかったし、継続されてもいるのだが、現場で今一つぴんときていないように感じる。それは「読む」という語に多彩な意味を持たせ過ぎて、消化しきれないということか。


 対象としての「連続テキスト(文章)」と「非連続テキスト」。この意識化もだいぶ浸透しているはずだが、後者は今までの勤務校では正直あまり目にしていない。非連続テキストを扱う面白さをどう感じさせるか…そんなことを考え、給食の牛乳パックを見ていたら、いつかの学会での谷和樹氏の授業を思い出した。


 谷氏の授業は「製品表」を取り上げたように記憶している。最終的にそこを読み取らせるとして、導入としての問いかけを考えてみた。「パック全体で『牛乳』という文字が、いくつ書かれていますか?」→「全部で9つ書かれてある『牛乳』という言葉は仲間分けできます。何種類になるでしょう。」全体が動く。