すぷりんぐぶろぐ

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あの時見上げた満天の星に

2013年05月22日 | 雑記帳
 かつて受け持った子の保護者であったTさんの訃報を知った。
 人を包み込むような温かい笑顔が印象的な人だった。

 勤務地としては三校目の山間の学校。
 最初の4月前半は子どもたちと一緒にグラウンドの雪かき(穴をほる)を頻繁にしたことが印象に残っている。体育館軒下に溜まった雪が消えない中で,直線八十メートルもとれない狭いグラウンドで盛大な運動会をした。
 苦い顔をして首を縦に振らなかった学校長を「俺が責任を持つ」といって,体育館での運動会の打ち上げ会を強行したのはPTA会長のMさん。その会へ確か夫婦揃って参加し,隣に座った自分に盛んにビールを勧めてくれたのがTさんだった。
 バケツに雪を入れて冷やしたビールの味が沁みて心地よい一日だった。

 自分の地区担当がたまたまTさんの住んでいる地区になり,夏休みにはラジオ体操や親子会などによく顔を出した。車庫の前でのバーベキューに幼かった娘を連れていったこともある。地区行事の常連状態だった。
「校長先生や教頭先生の顔は知らねけど,先生の顔は覚えてしまった」と地区のお年寄りに言われたのには,まいったやら,嬉しいやら。

 学級の卒業対策委員にもなってくれたTさん。もう一人のOさんを交えて打ち合わせと称して,午前四時帰りの時もあった(もちろん飲み会である)。そのまま朝に平気な顔をして(強がりだが)授業できる若さのあった頃だ。
 卒業の時は,何次会かわからないが,Tさん,Mさん,Oさんら保護者の多くが拙宅に来てれた記憶もある。

 もう今となっては,何を語り合ったか覚えてはいない。
 ただおそらく当時の自分…当たりかまわず走り続けた時期を経て,少しだけ方向を見つけて歩み始めた頃…が熱く語り,それを頷きながらにこやかに耳を傾けていた姿だけが,瞼に残っている。

 Tさんのご家族もまた優しさにあふれた方々だった。不運な目に遭った親類の子らを引き取り,確執もあったが乗り越えたことを聞いたりもした。
 もちろんその家の兄妹も優しく育った。
 温かさに惹かれるように,何度となくお邪魔した家だった。
 その佇まいをまだ覚えている自分にとっては,やはり大事な存在であったことを今改めて思う。

 あれは,いつの季節,何の会だったか定かではない。
 少し離れた生活改善センターのようなところで,全体の宴会が終わり,Tさんから「また,来るべ」と自宅へ誘われ,頷きながら傘を持って外へ出た。
 
 会が始まる時は降っていた雨がいつの間にか上がっていた。
 見上げると,満天の星。
 澄み切った夜の空気のなか,零れ落ちんばかりの星空に,おううっと思わず立ち止まって絶句していたことを思い出す。

 あの時,そんな自分に,Tさんはあの温かい笑顔で「早く行こ」ときっと声をかけてくれただろう。

 いつの間にか,Tさんがあの満天の星の一つになってしまったんだね。

 ありがとう。合掌。