すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「教室読み聞かせ」を続けるということ

2013年05月02日 | 読書
 連休読書2冊目。

 『「教室読み聞かせ」読書活動アイデア38』(石川晋 明治図書)

 「教室読み聞かせ」という題名をどうとらえたらいいだろう。
 それは「教室」という「場所」で行われることのみを示しているだけか。もっと重層的な響きがあるように思う。

 似た言葉として「教室音読」がある。
 野口芳宏先生の言である。野口先生は『教室音読で鍛える』という著でこう書かれている。

 担任こそが音読指導の最適任者でなければならない

 そう当てはめてみると「担任こそが読み聞かせの最適任者でなければならない」という,「人」の要素が強く押し込まれている気がする。

 もちろんこの本に書かれているアイデアには,生徒同士の読み聞かせやゲストによるそれもあるわけだが,根本を成しているのは,教師が自ら気にいった本を,子どもたちに向けて継続的に読み聞かせる姿に間違いない。


 なんといっても第一章が心に迫る。

 そのわけは自分自身に劣等感や悔いの念があるからだろうか。

 一応,国語科をメインとして教職を続けてきたが,担任として読み聞かせをきちんと続けたと公言できるのは,わずかに一年ぽっきり。
 それが学級を受け持った最後の年度であった。

 その後,例えばこの本の内容と共通点を見いだせる,全校を巻き込んだ「図書フェスティバル」,国語専科の折に六年生と単元を組んだ「紙芝居」など印象深い実践もあるにはあるが,所詮単発だ。

 自らの底の浅さが見えて少し心がざわめきながらも,身体の芯のごとく展開される著者の「読み聞かせ」が,一つの物語として伝わってくるようで,ある意味惹きこまれてしまった。

 二章は,いわば思想だ。子どもたちとの距離をどう取るのか,手続き,空間,時間についての基本的な考えが述べられている。そこに教育としての位置づけの確かさを見る。

 三章以降にある38のアイデアの範囲の広さ,関わる活動との結びつきは,もちろん一朝一夕にできるものではない。
 無理せず実践可能なことから取り組むべきだろう。ただ,複数取り上げて組み合わせていくことが有効に働くことは全編を読み終えてみればわかるはずだ。

 日課表であったり,単元作成であったり,行事計画であったり,と広範囲に読書を取り入れるという目配せが必要だとわかる。
 前著の2冊と重なる箇所もあるし,それを丁寧に読み込みたい。

 つまり,アイデア集とは言いながら,単発で行うというよりほとんど全てが重ならざるをえないトータル感が強いことが大きな魅力であり,同時に難関さにも見えてくる。