この連休中に読まなきゃ,買ってもまたずるずるとバッグに入れたままだろうな,という思いがあったので,「エピソードで語る 教師力の極意」シリーズの堀裕嗣,石川晋両先生の本を急ぎ注文したのだった。
読み始める前に,どうも「極意」という言葉が気になった。
以前読んだ「教師力アップ 成功の極意」のときは何とも思わなかったのに,なぜだろう。
たぶん「エピソード」という言葉のイメージから,教師像が立ち上がって,いわば著名な二人の教師のようになる「極意」という提示に疑問が湧いたのだろうか。
「極意」が辞書通りに「奥義」という意味なら,それは書籍などで伝わるものなのか…そんな考えまで浮かんでくる。
意味を確かめた紙辞書はどれも似たり寄ったりだが,ネットではどうかと検索したら「類語辞典」にたどり着く。
ここは実に興味深い。
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F
なんと「達人などの知る極意」と「凡人などの知る極意」に区別されているではないか。
なるほど。
とすれば著者(いやこれは編集者の方と言ったらいいのか,著者とはまた別の考えかもしれない)は,どちらを主たる読者対象としたのか。
普通に考えれば,「凡人」だろうわな…。
そうすれば,このシリーズに書かれている「極意」とは,「秘訣」とか「方法」とか「コツ」のようなものなのか。
いやいや,だからこそ「エピソード」なのかもしれない。
つまりはエピソードという個別性,一回性の強い語りで表現することで,その受け取り方を読者に委ねようとする手法だ。
ずるいよ,それは,って何にもずるくはないのである。
著者の二人に深い関心を持って手にする人は少なくないだろう。
それが凡人であれば凡人なりに,達人レベルであればそれなりのレベルで受け止めるだろう。
ただ凡人の受け止め方をする限り,その有益さは結局のところ,ペーパー上で留まってしまうのかもしれないし,著者の伝えようとしたい意図をくみ取れないのかもしれないな…。
そんな不安を抱えながら,凡人は読み始めた。
比べ読みなどするつもりはなく,堀→石川の順で読了したが,なんとまあ同じシリーズにしては,すいぶんと肌合いの違う出来上がりなんだなと大雑把な感想を持つ。
一冊ずつ読書メモしていこうと思う。
読み始める前に,どうも「極意」という言葉が気になった。
以前読んだ「教師力アップ 成功の極意」のときは何とも思わなかったのに,なぜだろう。
たぶん「エピソード」という言葉のイメージから,教師像が立ち上がって,いわば著名な二人の教師のようになる「極意」という提示に疑問が湧いたのだろうか。
「極意」が辞書通りに「奥義」という意味なら,それは書籍などで伝わるものなのか…そんな考えまで浮かんでくる。
意味を確かめた紙辞書はどれも似たり寄ったりだが,ネットではどうかと検索したら「類語辞典」にたどり着く。
ここは実に興味深い。
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F
なんと「達人などの知る極意」と「凡人などの知る極意」に区別されているではないか。
なるほど。
とすれば著者(いやこれは編集者の方と言ったらいいのか,著者とはまた別の考えかもしれない)は,どちらを主たる読者対象としたのか。
普通に考えれば,「凡人」だろうわな…。
そうすれば,このシリーズに書かれている「極意」とは,「秘訣」とか「方法」とか「コツ」のようなものなのか。
いやいや,だからこそ「エピソード」なのかもしれない。
つまりはエピソードという個別性,一回性の強い語りで表現することで,その受け取り方を読者に委ねようとする手法だ。
ずるいよ,それは,って何にもずるくはないのである。
著者の二人に深い関心を持って手にする人は少なくないだろう。
それが凡人であれば凡人なりに,達人レベルであればそれなりのレベルで受け止めるだろう。
ただ凡人の受け止め方をする限り,その有益さは結局のところ,ペーパー上で留まってしまうのかもしれないし,著者の伝えようとしたい意図をくみ取れないのかもしれないな…。
そんな不安を抱えながら,凡人は読み始めた。
比べ読みなどするつもりはなく,堀→石川の順で読了したが,なんとまあ同じシリーズにしては,すいぶんと肌合いの違う出来上がりなんだなと大雑把な感想を持つ。
一冊ずつ読書メモしていこうと思う。