すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

雑誌の樹にとまりながら

2013年05月13日 | 読書
 『本』(講談社)5月号より
 原発事故により汚染されたエリアの木を全て伐ることはできないと,誰しもが思う。しかし歴史上にはそんなことをした人物がいた。豊臣秀吉は木炭調達のために中国地方の木を伐りまくった史実があるそうだ。経緯も目的も全然違うので比較できないが,私たちの時代は常に実現できない危うさで成り立っている。


 『波』(新潮社)5月号より
 女優高峰秀子が自らを「成れの果て」と称したことがあった。この言葉がどうして「落ちぶれた末の姿」を表すのか,ひっかかった。「成る」の受け止め方は肯定的ではなかったのかと辞書を引いた。「発生」「完成」だけではなく「変化」という観点があり「なり果てる」そのものの意味もあったことに少々驚く。


 『ちくま』5月号より
 「美術,応答せよ!」という連載がなかなか興味深い。対話による鑑賞という国語科との関わりも見えてきたのは嬉しいが,肝に銘じたいことを今回一つ見つけた。筆者曰く「作品は明快に解説されたとたん,その範囲内の小さな世界にやせ細ってしまう」…対話は,作品世界をやせ細らせるために行うものではない。


 『プレジデント』5.13号より
 「日本流『いのべーしょん』」という造語の発想に刺激をうけた。イノベーションとの「起点」「アプローチ」「推進者」「成功のポイント」を比較して考察されているが,特に起点の「ビック・コンセプト」に対する「現場の気付き」に納得。この発想で教育全体の仕事も推進されるべきだ。核はそこにあるのだ。