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いい本の要件を満たすもの

2013年05月24日 | 読書
 奥野修司の書いたノンフィクションが印象深かったことを思い出し、その著者名に惹かれて買い求めた文庫だった。

 『放射能に抗う 福島の農業再生に懸ける男たち』(講談社文庫)

 題名そのままに、震災後の福島で農業に取り組む男たちのドギュメントか、と思いきや、実際は第1章と第8章が震災後つまり現在進行形の格闘であり、2章から7章までは2009年に発刊された単行本が主原稿になっているものだった。

 第一章で驚嘆すべきほどのエネルギーと知恵で動く男たちが描かれ、それを突き動かす源を探るように次へ誘う。
 章の最後のこの文章は、それだけでも私達に何かを問いかけている。

 決して「想定外」と言い訳することなく、次々と新しい対策を立てていく伊藤の「常日頃」では、いったいどんなことが行われていたのだろうか。

 「想定外」とは「常日頃」に規定されることを言い切った文章である。


 さて、二章以降に描かれるのは、一言で言えば、「世界一うまい米をつくる」と宣言し、歩みを決して止めない農業集団のストーリーだ。農業の姿を典型として実に学ぶべきことの多い内容だ。

 私がよく読書感想メモとして記すのは、自分の現在の仕事である教育に生かせる、関連付けられるような考え方を探すねらいもある。その意味で多くの、実に真っ当な、そして忘れがちな言葉にあふれていた。

 例えば、こうした文章たちだ。

 記録を共有することで、技術の底上げができるんです。(中略)記録と記憶の違いはその再現性にあらわれます。

 消費者が求める「安全安心」の安全とは客観的で、安心とは主観的なものだ。

 知識は持たなくとも、あれ?これはどうしてだろうと思う感性の持ち主が、知識を求めたときにものすごい結果を出していきます。


 それからこの著は、自分がある程度知っていた、知っていたつもりになっていた状況、事柄について、もっと深い、もっと新しい視点を授けてくれた。

 例えば、米の流通、農業振興に絡む、農協という存在の意義と実態…農村に生まれ育った自分には、一応の知識はあったつもりだが、想像以上の堅固な構造と古く錆ついた体質に縛られていることの認識を新たにした。
 知り合いや同年代で職員になっていた者も多いが、その生活の裏が垣間見えるような気になる。その苦悩も地道さの訳も。

 改革を唱える者を阻む組織や個人の言い分には、必ず「保身」があり、それを突き崩し納得させるためには、いくつかのパターンがある。
 突破者とも言えるリーダー伊藤の動き方から学べる大事な点だ。
 そしてその動きを形づくる圧倒的な調査、学習…今、伊藤らに限らず一流の農業者たちはきっと、内圧、外圧の強まるなかで自らを無奮い立たせるように学んでいる。


 上に記したように、いい本と呼べる要件が詰まったような著書だった。
 しかし、今回それ以上の一つの真実を見つけた思いがする。

 いい本とは、決意を迫るものである。

 書かれた内容によって、自らが掘り起こされたように感じ、内面でくすぶりながらもはっきり言語化できなかった思いが、見事に焦点化される。そんな読書体験をさせてくれる本だ。
 芥川賞や本屋大賞にならなくとも、その可能性を持つ本はまだまだあるはずだ。そんな気にさせられた。

 今回、私に決意を迫った典型的な考えが、この文章に集約されている。

 「経済」で食べる消費者になるか。
 「思想」で食べる消費者になるか。


 これは何も「食」に限ったことではないが、食であるがゆえに揺るがせないという重さがじんじんと圧し掛かってくる。