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指させる星がいくつあるのか

2013年06月21日 | 読書
 『眺めのいい人』(伊集院静 文春文庫)

 途中から、なんだかこの本は読んだ気がするなあと思い始めた。

 週刊誌の連載でありそれを目にしたのかなと考えたが、手を伸ばす分野のものでもないので…改めて後付けに目を通すと、たしかに「文春文庫」としては初だが、「ゴマブックスの二次文庫です」という但し書きがついているではないか。買ったような気がする。

 年に1,2回はそんなこともあるようになった。
 好きな作家は決まっているし、範囲の狭い読書をしている身ではまあそれもそれ、出版業界へ貢献していると思えばいいか。

 さて、本の中身だが、二度読んでも、きっと三度読んでも、この本に書かれてあることは都会暮らしをした人でなければ、そしてちょっと「やさぐれた」ような経験を持つ人でなければ、わからないのではないかと思った。

 「眺めのいい人」と題されて各回に登場する人物がそうということではない。
この作家自身が無頼派と称される人だからそんなイメージをもったのかもしれないが、それだけではない。

 「とてもこの人にはかなわない」という言い切りの見事さ、人物の住んでいる世界、空気を切り取ってみせる洞察の鮮やかさ…こういったものは、天性と同時に、辿ってきたぬかるんだ道で喘いだ経験がもとになっているはずだ。
 その意味で伊集院という作家は、こうした肩の凝らないエッセイ風の文章をさりげなく書いても、他とは違う自分自身のワールドを展開させて、読み手を惹きつける。

 「眺めのいい人」とは、「あとがき」から拾うと「星明かりを持ったまぶしい人」だ。
 無数にある星の輝きに多くの人は目を向けている。しかし、その眩しさを放つ輪郭までしっかりとらえられるかと言うと、それは凡人の目ではできはしまい。
 星明かりを感ずることはできるが、それは「見えている」とは明らかに違うだろう。

 「あの星は、○○だよ」と指させる星がいくつかあるのか。

 つまり、自分にとって「眺めのいい人」は何人いるか。

 その人のことをどれほどの親愛を持って語れるか…歩んできた道が問われることになる。