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自分で決めることを迫る本

2013年06月04日 | 読書
 昨夜のNHKクローズアップ現代という番組で、東大野球部の指導をしている桑田真澄氏が取り上げられていた。

 ちょうど、この新書を読んでいた偶然にちょっと驚いた。

 『古武術に学ぶ身体操法』(甲野善紀 岩波アクティブ新書)

 巨人に在籍していた当時、桑田投手がケガからの復帰し、その後投法を変えたきっかけを作ったのが甲野氏であることを知る人は多いだろう。

 この本はそのエピソードから始まり、様々なスポーツや身体の動きに応用できる古武術の本質や可能性について述べている。

 甲野氏の書かれた文庫、対談本などいくつか読んでいるが、いつも奥深いものだなあという感想の域をなかなか越えられなかった。

 しかし、この新書は甲野氏の辿った道がわかりやすく示されながら、簡明な言葉でその精神が語られていて、自分の暮らしを考えるうえでのヒントを得た気がしている。

 いみじくも、桑田氏がテレビ番組で一番語りたかっただろう、この一言である。

 「自分で決める」

 この、どうしようもないほど単純さを持つ言葉には、多くの背景がある。

 例えば、「動き」をよく見ているか。「動きの質」について考えているか。
 あるいは、社会の「問題点」に気づいているか。「運命」についてしっかり向き合って考えているか。

 野球という運動の上達や練習に関しても、「自分で決める」ことを徹底するとすれば、それは本当に難しい気がする。いくつもの困難がある。
 この本に登場する、甲野氏と親交のある方々にしても、中途半端な構えではなく、まさにいばらの道を進む指導者、アスリートたちであることは確かであり、そのこともしっかり記されている。

 第四章「発想を育てる」は、刺激的である。
 視点を拡げる、見方を変えるという意味を表面的にしか理解できていないのではないかと思わされる。
 特に『極北のインディアン』という本によって紹介されている「学ぶ」「練習する」という概念のない人々の言葉には驚く。
 そしてそれが、著者の言わんとするところに通ずることが呑み込める。

 ありきたりの言葉でしか答えられない「学び」や「練習」では、自分がつくり上げられるのか、という根源的な問いであろう。

 この著には、まだまだ多くのキーワードがある。

 「おわりに」で強調されたのは「美意識」だ。
 個人的な好みを見つめ直すことによって、自分自身が何に根ざしているのか探る…これならできるかもしれない。