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赤ペンと黒サンダル

2021年09月03日 | 雑記帳
 1つの物を使い切った経験がいくつかあるだろうか。明確に思い出せるものとして、一本の赤いサインペンがある。20代だった。教員としての必需品だった赤ペンのインクが出なくなった時をいまだに覚えているのは、モノアマリの時代を過ごしてきた証拠の一つだろう。しかしあの瞬間の使い切った感覚は良かった。


 ずっと使い続けたサンダルがとうとう壊れた。これも長い付き合いだ。もしかしたら20年以上経っているかもしれない。本当はいけないことだが、ドライブ用にも履いた。真ん中にボッと突起している磁石が心地よい。底面がぐしゃりとなった時、ああと思った。これほど付き合うと「感謝」の気持ちが湧いてくる。



 こんなことを書き出したのは、『人新世の「資本論」』のある語が、頭に残っているからだろう。それは「価値」と「使用価値」である。資本論をかじっている人なら承知のことだろうが、「価値」とは「商品価値」を意味し、「使用価値」は「有用性」という捉え方である。資本主義は「価値」の増殖が目的なのである。


 無理矢理結びつければ、赤ペンも黒いサンダルも「使用価値」を全うした。結果、他の商品「価値」との関わりは瑣末とはいえ薄くなった。エコや清貧などとは口にしないが、見渡せばモノだけでなくコトとのつきあい方も、無駄なく一つに集中して続けていくことが、有用性につながるし、充足感も高い気がしてくる。


 「晩年のマルクスが提唱していたのは、生産を『使用価値』重視のものに切り替え、無駄な『価値』の創出につながる生産を減らして、労働時間を短縮することであった」という記述があった。社会全体では難しいが、個人では膨れ上がる「価値」に惑わされず、「使用価値」を全うする習慣づけがもっと図られてよい。