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戦時下の庶民の覚悟を

2021年09月08日 | 読書
 祖父母や父母とは違い戦争を経験していない世代である。その自分が単純に「歴史に残る出来事と遭遇した」と強く感じたのが、このコロナだ。社会的な危機という意味で「戦争」と捉えれば、「この国」はどう戦うのか興味深いし、自ら緊張もする。そして今気分的にはいや客観的評価として「敗戦」濃厚と言えないか。


『敗戦真相記』(永野 護  バジリコ株式会社)



 著者は渋沢栄一の秘書となり、その後実業家として数々の役職に就く。帝人事件で逮捕されたが無罪、戦中・戦後と衆議院議員を務め、岸内閣での運輸大臣という経歴を持つ。弟たちもそれぞれ名の知れた実業家、政治家となっている。敗戦直後の的確な分析に、解説者は「驚くとともに、誇りを覚える」と結んでいた。


 印象的な一節は、戦争当時にアメリカの映画ニュースが東京空襲を報じたときのタイトルだ。曰く「科学無き者の最後」。非科学的な軍部のあり方については語られてきたが、これほど典型的な一言はない。そしてこの部分を読み、ふっと浮かんだのは昨年騒がれた「学術会議任命拒否」の問題。本質は同じではないか。


 施政者の科学に対する姿勢が端的に示されたと言えるだろう。そしてその延長上に感染予防施策の立ち遅れがあるといっても過言ではない。一方で政権内部の輩が「縄張り意識を捨てきれない」実態も綿々と続いている。戦時中の陸軍と海軍の対立の実例は驚くほどだが、そうした心理は総裁選にも投影されている。


 「根拠のない優越意識と精神主義」が、目的さえ明確でない戦争に向かわせた。著者は根本原因を「有史以来の大人物の端境期」と記した。それに倣えば、戦後に盛り返したか諸説あるにしても、現状は酷く壊滅的だ。新しい「科学」の目を持った気力ある人材の登場、戦時下の私達にはそれを押し上げる役割がある。