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桜と絵本と豆乳と

そのデザインは自己教育の結果

2021年09月16日 | 読書
 読みやすさが際立つと感じた。あとがきを見たら新聞連載がもとになっていて「一行十一文字という、独特の改行リズム」という表現があった。この枠組みによって一文の長さが決まり、それが「リズミカル」に思えた理由の一つかもしれない。デザインの本質とは案外そんな箇所に宿っていて、人に働きかけている。


『デザインのめざめ』(原 研哉  河出文庫)



 身近なところでいえば、住宅の外観や間取りそして動線など、暮らし方と大きく関わっていることは言うまでもない。身につける衣服などもそうかもしれない。「お腹で服を着よう」という章があり、筆者はファッションデザイナーに対して、お腹が出ても「流行の先端でデザイン」されたファッションを要望している。


 そのココロは、デザイナー自身がブランドを守るために安易に若返りなど図らず、「若さも過激さも、成熟も老いも、貴重な資源として」パワーを発揮し、個人の「独自性」に対してほしいということだ。今、それが実現しているかしていないのか、皆目わからないが、流行り?の「持続可能な」精神には近い気がする。


 筆者は「無印良品」に関わったことから筆を進め、農業振興にも触れている。「『水がきれい』であるとか『キャベツが美しい』というような価値観がこれから大事になり、生活への高い洞察力」をもった人たちがリードする世界になると予測している。そうした動きは確かに見えるにしろ、遅々たる歩みとも感じる。


 ここには、やはり経済の問題が根強く壁になっている。「売れる」ことを核としたデザインである資本主義の宿命か。筆者はかつて、デザインは「欲望のエデュケーション」と言い表したという。この端的な考えの正しさは、身の周りの道具一つとれば明らかになるわけで、その質は「自己教育」と完結してしまう。