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じゅん先生、参りました

2021年09月09日 | 読書
 新書の冒頭の一文は「人生で大切なことはすべて仏教が教えてくれた」。週刊誌の人気連載エッセイのいつもの書き出しは「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」。齟齬をきたしているわけではないが、この振れ幅が著者の魅力である。誰かに倣って私も「みうらじゅん先生」と呼びたくなるような一冊だった。


『マイ仏教』(みうらじゅん 新潮新書)


 「ゆるきゃら」「マイブーム」という語を世に送り出したとして知られる著者。その事実が典型的で、本人自身がゆるきゃらであり、幼いときからマイブームを作り出してきた人である。あまりにも「独善的」な仏教への接近であっても、ここまで続けられれば、世の中に認知されていく。今、一番求められる資質である。


 それは「好きなことを見つける」というごく単純なこと。しかし、多くの人間は周囲の目を気にし、みんなと一緒の言動・習慣に馴染む道を選択してしまう。その結果生きづらさを抱え、「自分探し」などという惹句に惑わされる。著者が一貫して語る「自分なくし」こそ、心から惹かれる対象との出遭いを導くのに…。


 ちょうど3年前、某大国の寺院で

 第四章の「地獄」の解説が事細かだ。「地獄は大きく八つに分かれ、それぞれ十六の小さな地獄があり」、128個の地獄其々に罪状が決まっていると書かれると、変なワクワク感さえする。もっとも私は仏教徒ではないので当てはまらない(笑)。「後ろめたさ」を「後ろメタファー」と名づけ機能させる感覚も好きだなあ。


 今までも「比較三原則」「老いるショック」など強烈なワードを繰り出してきた著者。ここでも現世を生き延びるコツをうやうやしく述べる。今回「先生、参りました」と心に収めたのは「そこがいいんじゃない!」というフレーズだ。苦しみ、辛さを前にしてもその言葉を反射的に言えるようになれば…。光り輝く。