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生き残るための「言い訳」

2021年10月01日 | 読書
 ナイツのネタで驚いたのは、昔の「ヤホー漫才」もそうだが、去年様々なコンビのパターンを真似てみせた時だった。それほどの緻密さを持ちあわせているから、優勝経験がなくともM-1審査員に推されたと実感した。書名は、勝てないことの言い訳の体裁をとりながら、見事な大会分析・コンビ分析となっている。


『言い訳 ~関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』
   (塙 宣之 集英社新書)



 寄席で漫才を見ると、大抵のコンビが実に面白い。それは空間の持つ力も左右するのだろうとは感じながら、同じコンビをテレビで見るとほとんど魅力を感じない。個人的な好みはさておき、この理由を考えると、番組自体の設定や時間制限があり、コンビの持つ力が十分に発揮されないからという結論に落ち着く。



 M-1の歴史の解説があった。最初からの詳細は思い出せないが、結構前から見ていたと懐かしく思い出す。私的にはチュートリアル全盛期や、スリムクラブの登場などが懐かしい。最近では負け続ける和牛、ジャルジャルなどに肩入れしたくなった。それぞれの年の特徴、敗因など、塙の語りが実に的を射ている。


 「どうしたらウケるか」という一点を追求し続けた塙の修業過程も興味深い。20代後半、壁に突き当たった塙は「一日一本のネタづくり」を自分に課す。これは現在でも続けているという。そして「量をこなして、初めて気づいたこと」から自分たちのスタイルを築いていく。「量は質なり」の典型がそこにあった。


 量があるからこそ、パターンを読み、得手不得手やコンビの相性、長短を見事に言い切れるのだ。わかりやすい喩えとして競争馬の距離適性を使っている。短距離馬・中距離馬・長距離馬…馬と違うのは、芸人も「消耗品」だが息長く観続けられる可能性をもつ仕事である。生き残る漫才こそ、「芸」と呼べると思う。