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ランドクから白鵬をオモウ

2021年10月20日 | 読書
『勝負の格言』
 (桜井章一  宝島文庫)


 趣味で何かの競技をしているわけでもない、仕事上で「勝ち組」「負け組」のようなことを語る齢でもない自分が、何故こんな一冊を手にするのか。

 著者の本を数冊読んでいる訳は、専門的で具体的なことを「書いていない」からだろう。そこにある漠然とした書きぶりが一種の魅力といっていい。

 例えば前書きにある「つまり、進歩だ、豊かだ、と言って勝ったつもりになっていながら、実は負けているのが、人という存在なのである」…今、この国で起こっている出来事や特定の人物がぱっといくつか思い浮かべられるのではないか。そうした類の句に惹かれる。

 そもそも「勝負」という語を、どこに位置付けて語るのか。いやその前にそれは人生に必要なのか、と揺さぶられる。「勝負が人を選ぶ」という段階ではもはや生き方でしかない。

 そうなると結論は見えてくる。文章から拾うと、これだな。
「いい約束を自分とする。毎日する。」



 初め「ランドクの秋」シリーズ(笑)の一つとして、上のメモを書いたつもりだった。
 しかし、その後に観たNHKスペシャルで「白鵬」引退のことが取り上げられていて、どこか響き合うことを感じた。

 稀代の力士である事実を認めない者はいない。
 わずか50分程度の番組で全貌がわかるわけではないが、その努力たるや凄まじいものがあった。
 横綱の地位について14年という年月、そして数々の出来事の中で、その努力を支えたのは「勝負」への執念だったことがわかる。

 そして…白鵬が勝ちにこだわり、勝ち続けようとしたことによって失ったものは大きかった。白鵬のみに問題があるという言い方はできないかもしれないが、桜井の著書に照らし合わせれば、「勝ったつもりが、実は負けている」という状態に陥ったとは言えまいか。

 それは、目の前の勝敗にこだわり「いい約束を自分とする」ことが出来なくなったから、というのが、ここ数年の白鵬を見ての私の結論だ。
 もちろん、異なる見方で考えを持つ人も多くいるだろう。

 NHKは実に見事なナレーションで、この番組を締めくくった。きれい過ぎるか。

「大相撲とは何か。横綱とは何か。
 白鵬は、私たちにそう問いかけて、土俵を去った。」