すぷりんぐぶろぐ

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干し柿の吊るされる頃

2021年10月12日 | 雑記帳


 日曜日に主催した小学生ワークショップの科学実験を見ていたら、妙な連想がわいた。「空気の力」という内容なので、かつて学校の理科で実際にやったことや何かの雑誌等で見たことなどで経験済みなのだが、缶の中の空気を抜くと、周りの空気によってペシャンコとなる事象に、つい「人間も似ているか」と思った。


 物理的な空気ではなく、「気分・雰囲気」という意味での空気だ。周りの「空気」に押し潰されないためには、内部が何かきちんと詰まっている必要がある。もちろん人間の身体は様々な成分で満たされているわけだが、心理的に空っぽだったり、薄い状況だったりすれば、圧迫される感覚が強くなり、縮こまってしまう。


 もう一つ。平らな面同士をぴったり合わせるとくっついて離れない。これも空気の力。ほんの少しズレると簡単に取れるのが不思議なほどだ。昔、研修会で仕事上の人間関係の「摩擦」について問われ「相手と1mmでも離れていれば起こらない」と師は言い切った。密着する原因を俯瞰できれば、外力は調整できる。


 日本人の特徴としてよく挙げられる「空気」による支配。自分もそんなふうに育ったし、指摘されればそうかと考える。しかし、その陥穽からなかなか脱することができずに齢を重ねた。「いや、案外そうでもない」と評する身近な方もいるかもしれない。確かに空気に頼って生きながらえつつ、逞しくなった点もある。


 車庫から出て目に入った隣家の窓先に、今年も柿が吊るされた。外気にさらされ、風に吹かれて熟されていく。かつて駄句をひねった…「干し柿や誰に諭され甘くなる」。けして好きな食べ物ではないが、あの甘さが時々懐かしくなるのは、やはり育った時代や環境だろう。年々、干し柿のような人生に憧れが強くなる。