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星空の下のディスタンスを想う

2021年10月09日 | 雑記帳
 今「ディスタンス」という語を聞けば、すぐに「ソーシャルディスタンス」を思い浮かべるのが普通だろう。もし一昨年までだったら個人的にはアルフィーの「星空のディスタンス」…となんの脈絡もなく曲名が思いつく。♪星空の下のディスタンス♪燃え上がれ、愛のレジスタンス♪なんと、どこかつながる気配も…。



 『図書』10月号で、桐谷美香という美術商の方が「平穏を生む距離」と題し、去年春にニューヨークから帰国せざるを得なかった時期の頃から書き出している。言葉の使い方として、ソーシャルディスタンス(社会的距離)というより、フィジカルディスタンス(物理的距離)が正しいらしいという記述もある。


 そこで思い出したのが、かつて何かの授業で習った「パーソナルスペース」のこと。改めて調べると、人同士の空間を「密接距離・個体距離・社会距離・公共距離」の四つに区分している。コロナ禍でよく言われる約2メートルは、社会距離のど真ん中に位置しているが、実は1.2mから3.5mという幅を持っている。


 今、私たちが心理的制限をうけているのは1.2m以下の「密接距離、個体距離」となり、例えば保育や初等教育の場では非常に難しい点を孕む。マスク着用が常態化していることを考えると、「親しさ」を求められない、「触れる」ことに気を遣う、「表情」を読み取りにくい…これらを前提とした関わりは実に悩ましい。


 「平穏を生む距離」の筆者は、茶室や温泉を例に距離の「図り方」による日本独特の文化について筆を進めていた。しかし「距離を隔たりとしない世の中」の実現は難しい。島国の中で密接・個体距離を重視してきた我が国では、本能的にその距離を求めるゆえに、逆に縮めようとした時の内なる抵抗も強いか。


 日常を取り戻すため「レジスタンス」の心で暮らすのはシンドイが、耐えれば耐えるほど熱量が溜まるとも言える。物理的な近さによる安心感が本能であることを認め、遠ざけずに、一面では心理的距離を縮める手立てや工夫について頭を絞ってみることも人間らしい営みなのだと自らを納得させよう。