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節分、心内の「鬼」を認めよ

2022年02月03日 | 雑記帳
 昨日は除籍資料検討に没頭した。著名な作家の全集類に収められている作品の単行本類(ほとんど昭和期)は当然候補に挙がる。それらを開いていくとホコリが舞い、一足早い花粉症かと思うほどだった。明けて今日は節分。勤務日ではないが、以前から「鬼」の本は紹介したいと考えていたので、ブログアップした。


 作業中に思い出したのは、かつて国語教科書に載っていた『おにの話』という教材文。確か3年生の説明文だった。光村図書のサイトで調べたら昭和52年度版から平成元年度版までに掲載されていた。とすると自分としては2回しか扱っていないのか。印象が残っているのは当時一番読解に力を入れていたからか。


 2階書棚にある当時の学級通信綴りを捲ってみた。実践そのものはなかったが1988.2.3付で「節分の日に…『おにの話』をもう一度読む。」と題して、文章を引用していた。季節行事を知りその訳を理解する内容は中学年にはふさわしい。人々の願いと実際の慣習を考えるきっかけとなるだろう。この結びを噛みしめたい。

「節分のおには、人々にとっていやなことを、一人で全部引き受けて、にげていくのです。つまり、わたしたちの身代わりになってくれているわけです。」

 このご時世における「鬼」を外部に求めるとすれば「コロナ」という語がほとんどか。その切なる願いはともかく、本当の「鬼」はやはり私たちの心の中にあると言わざるを得ない。そしてそれは、追い払われない要素なのだ。仏も鬼も、光も闇も、皆内部に棲まわせていると認めることから始めるべきだと思う。



 と、それはともかく、開いた昔の学級通信が面白い。あまりに活動的(笑)で目まぐるしいほどだ。おそらく3年生ということも一つのポイントだと思うし、自ら作ったサークルが軌道に乗り、いわゆる法則化運動との関わりも増えた時期と重なっているからだろう。1年分を読み終えたら、また書き散らしてみたい。