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「昭和」を読んでみた

2022年02月27日 | 読書
 先週読み終えた2冊の本。小説とエッセイ、共通点はないと思ったが、あっ、どちらも昭和なんだと気づいた。


『寮生 ~1971年、函館。~』(今野 敏  集英社)

 待ちかねていた『隠蔽捜査』の新作は未読だが、何かその前にと警察小説ではないこの本を手に取った。作家と同齢なのでこの年号を記しているということは、やや自伝的な要素もあるかなという興味もあった。モデルはあの函館有名進学校で、男子寮内に起きたある事件を中心に展開していく学園ミステリーものだ。



 語り手である「僕」と一緒に入学した1年生数人が、校内で起こった2年生徒の死亡を巡って動く。様々な環境で育ち性格も異なる16歳たちが「事件」について、多少堂々巡りしながら、最後には謎を解明していく形だが、ある意味そのもたつき具合が懐かしい。ネットもスマホもない時間にあった空気感だろうか。


 来る日も来る日も駄弁っていた十代後半は、まさに昭和の高校生だった自分と重なる。理屈と感情のどちらも安定していない時期、繰り返し語りあって、ほんの少しだけ成長する実感。さて、この話にも「竜崎伸也」を彷彿させる一人の高校生が登場し、皆に刺激を与える。こうしたキャラクターの普遍性を想った。



『人生の観察』(吉村 昭  河出書房新社)

 単行本未収録のエッセイを集約している一冊、新聞連載コラムが主なものだ。時期は70年代から90年代、昭和期の文章が非常に多い。淡々とした筆致で全体的にさらりとした印象だが「含蓄」があるなあと感じさせる。小説とは違って丹念に書き込まないから、ことさら余韻を残すのだろうか、と考えが浮かんだ。


 昭和という時代はやはり戦争を抜きに語れない。昭和2年生の著者の作品も多くを知るわけではないが、「戦時」が大きな核であることは確かなようだ。その意味で穏やかな身辺雑記にあっても、どうしてもその陰がつきまとったり、比較論になったりするのはやむを得ない。まさしく昭和を生きた作家だと思った。


 「人生の観察」とは大層な書名に思える。むろん編集者の名づけだろうが言い得て妙だ。喫煙を巡っての夫婦のやりとりが書かれてある文章で、著者は「理屈のウソ」と記し、「ことばの正しさは浮き世と縁のないもの」とした。こうした例は数多ある。昭和期は、正しさへのアプローチを人生と呼んでもよかったか。