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「力強い」という形容

2009年01月06日 | 雑記帳
 先日、年頭の挨拶ということでテレビ画面に映った某氏の言葉遣いが妙に気になった。
 今年の施策の重点の一つとして学校教育を挙げ、その流れの中でこんな言葉を言い放った。

 力強い教育

 んんっ?と思った。
 話題はもうそこを過ぎて、別の事項に過ぎていったが、どうにもその言葉だけがこびりついてしまった。
 「力強い」というのは、いったいどういうイメージなんだろう。
 まさか軍国主義的なことを指しているわけではないだろう。話の前段が「学校統合を進め…」といった文言があったようなので、これは物的・人的な教育環境整備という意味合いなのだろうか。

 それにしても「力強い」は、いかにも力強い。
 「ひ弱な教育」とは誰も言わないにしろ、「優しい教育」「思いやりのある教育」「痛みの分かる教育」…とはカテゴリが違うのだろうが、印象的にはずいぶんと遠い言葉のような気がする。
 説明を求めれば意図している内容は明らかに違うとは思う。しかしそこからイメージできる教育というものは、やはり何か今のこの国の現況を示しているようで少し考えてしまう。

 今朝の新聞の文化欄に載った暉峻淑子氏の随想「答えてもらえない悲しみ」という文章に書かれてあることは、失業者に対する日本人の目線を指していたが、正直自分にもギクリとする思いがあったりして、それに対する答が「力強い教育」から生まれるとは到底思えない。