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たいしたことはないことなのか

2009年01月22日 | 雑記帳
 先日の会議で不祥事防止やいわゆる危機管理についての話が出たとき、禁句として三つの言葉が紹介された。

 「たいしたことはない」
 「なんとかなる」
 「よくあることだ」
 
 なるほど、ある問題事態をそういった言葉で簡単に片付けてしまわないことは確かに大切だ。
 しかし、これらの言葉は例えば人生訓的な見方として語られることもあるだろう。
 言ってみれば「人生山あり谷あり」「小事にとらわれないで堂々といけ」のようなニュアンスであり、気の小さい私のような者にとっては励ましの言葉になることもあるわけだ。
 従って、個人的生活に適用される場面ではシンプルで力強い一言でもある。

 ただ、組織で生きていく者にとっては、そういう心持によって引き起こされる事態は個人に止まらず周囲や社会に大きな影響をもたらす危険性をはらむということだろう。
 単純にいえば、それらの言葉を警戒することによって組織は小心者化するし、リスクのみ強調されていく。
 「たしいしたことはない」という判断は自分で下さずやるべきことを全てやる、そういったマニュアルでがんじがらめになっていくということでもある。
 つまり、してはならない、しない方がいいネガティブなリストが増えていくことを言っているのではないか。

 一方では、学校教育に担ってほしい教育活動としてポジティブリストがどんどん増えていき、その片方では危機管理、問題処理、不祥事等の未然防止というネガティブリストも際限なく足されてくる。
 面倒なのはネガティブの場合ほど周囲の声、社会状況に左右されやすく、いつも流動的な要素を抱えているということだ。

 こんなふうに考えてくると、少し滅入ってくることも確かだ。
 いや、それは昔から「よくあることだ」。大丈夫、「たいしたことはない」から、ちょっと上手くやれば「なんとかなる」。のか。