すぷりんぐぶろぐ

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未必の故意?から道は出来上がる

2009年01月09日 | 雑記帳
 刑事モノのドラマでよく使われる「未必の故意」という言葉が頭に浮かんだ。
 突飛な連想であり、もちろん犯罪でも、悪意を持っているわけでもないだろう。
 それにしても、ちょっとばかり差別的な言葉遣い?と感じたから、そんな連想が浮かんだのか。

 先日参加した研修会で、隣県の小学校で行われた研究会報告があった。その学校では算数科において習熟度別の少人数学習指導が行われている。小学校のうちから既習の習熟度の高低によってコース分けすることについてはちょっと抵抗を感じるが、詳細が分からないのでそれはさておく。

 問題は、コースの名前である。
 習熟度別に「はやて」「やまびこ」「つばさ」とある。
 東北へ向かう新幹線車両の名称を使っている。同じ東北新幹線を通るはやてとやまびこの違いなら、それはわかる気がする。停車駅の数も違うことだし、所要時間つまりスピードにだって差がある。

 では、つばさはどうなる。あわれ、山形新幹線。
 確かに東北新幹線福島から枝分かれしているし、けして便がいいとは言えないわけだから、レベルが低いというのか。そもそも、つばさという名称が奥羽本線の特急であったことを知っている人はいるのか!(これは脱線か)。
 はやてにしたって後から出来た新幹線に過ぎないのに、ちょっと格差がありすぎませんか…。

 まて、我が秋田新幹線「こまち」はどうなった。
 コース名にも登場しないくらいに差別されているのか。
 ご承知だろうが、こまちははやてと連結して走っていて、盛岡で分かれるのですよ。
 となると、習熟度の高い「はやてコース」の中に「こまちコース」は隠れているのかもしれない。

 自分たちで進んでいく「はやて」のなかから、「ぼくはそっちには行かないよ」と真っ直ぐ北へ走る道を選ばず、西へ進路をとって奥羽山脈を突っ切り日本海を目指す…春は角館の桜、夏は大曲の花火、秋田の竿灯、そして実りの豊富な秋、白銀の冬と実に人間らしい道を選ぶのが「こまち」コースの人間だ!算数からファンタジーワールドを目指す魅力的な展開である。
 実に素晴らしいコース設定、見事なネーミング…
 とどこまでも脱線は続き、いつの間にか未必の故意はどこかに消えうせてしまいました。

 でも、実際に「はやて」コースの先生が「こまち」の道も作る授業をしてくれたら、そんな発想を持っていてくれたら、本当にうれしいな。